美しく作るための花いっぱい作戦ブログ

美しく作るまちを目指し花いっぱい運動の予定や活動報告を掲載します。文化・芸術・音楽・歴史を絡めた活動も報告します。

平成23年6月25日 土 ふるさと発見ツアー

2011-07-13 23:32:13 | 美作ふるさと塾

平成23年6月25日(土)実施、
          体験学習「ふるさと美作いいところ発見ツアー」行程について

  第3回のふるさと塾は実際に現地に出てのフィールドワークということで、次の行程にてバスで移動しそれぞれの場所で美作市の歴史を中心に学習しました。当日の講師は、美作観光ボランティアガイド中川会長。

 午前9時30分、美作市役所玄関前に集合。9時45分市役所を出発、9時50分にからくり時計前にて下車。からくり時計建設における費用の話やナレーションに参加した林の高校の説明を受けました。(ちなみに当時僕は契約担当でカラクリ時計の入札は当時珍しい一般公募の総合評価方式入札だったのです。今はどれくらい総合評価方式が進んでいるのかなあ)
 ゆうらぎ橋をバス上から見学し、位田と湯郷の堺にある題目岩の説明を受け、一路顕密寺へ、10時半に顕密寺に着き、お茶のサービスを受け、お寺の中を案内していただき、かつて大山からこの尾谷に移ったこと、百姓一揆の際について刀傷ならぬ農具傷の説明を受けました。 顕密寺からすぐに英田資料館へ。11時着。当日は猛暑日でしかも、バスのクーラーの効きが悪く、英田資料館の冷房が非常に快適に感じられました。
保存されているものも非常に価値のある物で、写真撮影の許可も受け、次回は個人的に調査しようという声も多く聞かれました。
 11時半には長福寺に移り、実際に三重の塔の一階部分を見学させていただきました。この三重の塔もかつては真木山の山頂にあり、昭和26年にこの神田に移設したという経緯を教えていただきました。この英田資料館と長福寺については、美作歴史同好会の内藤さんに案内をしていただきました。
 その後滝の宮神社に移り、琴弾の滝を見学、美作三宮の話を聞き、昼食は当神社のあずまやにてNPO法人みまさか21が開発した郷土料理「作州美人」食しました。
  昼食後13時30分に土居宿、幕末の志士安東鉄馬の慰霊碑や4つ塚の由来を聞き、トラちゃん田んぼを見学しながら、バレンタインパークで約20分休憩。
 15時に春日神社着、春日神社では宮司が私たち一行を出迎えてお祓いの後、春日神社の説明を受けました。
 
 当日は本当にうだるような暑さという表現がぴったりの猛暑日で、塾生全員が汗をびっしょりかいての体験ツアーでした。中でもガイド役をしてくれた中川さんには全行程においての詳しい説明、そしてバスの中での話まで、すべて自らシナリオを作成し、この日に備えてくれました。少し残念だったことは、バスの中での私語が多く、必ずしもガイドさんの話をまじめに聞いているとは思えない方が何人かいたこと。途中の休憩場所で、集合時間を遅れる人がいたことです。基本的な大人としてのマナーなのでこの辺りをしっかりと反省すべきだと思います。
 アンケートを見てみるとほとんどの方がこのツアーに新鮮さを感じ、美作市の資源について見直したり考え直したりといったことを書いていました。

                  

○からくり時計
 2010年3月に誕生した、湯郷温泉街にある高さ7.9m、幅4.3mの巨大なからくり時計。岡山県に伝わる巨人伝説「さんぶ太郎」のモニュメントとして地元の人々に親しまれています。朝8:00~夜20:00までの間、正時を迎えるごとに時計の上部が4分間開き、巨大なさんぶ太郎が登場します。さんぶ太郎の右手には、弁当の中から出てきた大きな石を箸でつまんでおり、左手は時計の屋根を押し上げ、大きな足を動かしているのが見える仕掛けになっています。屋根を持ち上げた高さは8m90cmに及び、愛らしい表情をのぞかせると同時に物語を伝える寸劇の音声が流れてきます。さらに時計の中央部の小窓が開き、西国行脚にでた途中、1羽の傷付いた白鷺がその足を癒しているのを見て湯郷温泉を発見したと伝わる円仁法師や、美作にゆかりのある宮本武蔵も登場します。伝説では、那岐山に腰掛けたさんぶ太郎が箸でつまんだ石を投げ捨てたところ、湯郷まで飛んで来たとされています。そしてその石は、2つの大きな岩が重なりあった「かさね岩」として現在も残っており、均衡を保ち絶対に落ちないことから受験のご利益スポットとしても知られています。時計の前には屋根付きベンチがあり、温泉街の散策途中の休憩スポットとしても利用できます。

○ゆ~らぎ橋の噴水
  湯郷温泉街の南端、吉野川の清流に架かる「ゆ~らぎ橋」。毎時0分になると、橋の中央から羽ばたく白鷺を模した高さ15m、幅27mの大噴水が披露されます。放水される水量により、まるで鷺が羽ばたくように噴水が変化します!昼間の噴水もさることながら、夕暮れからは赤・青・黄色の3色でカラフルにライトアップされ、幻想的な雰囲気に包まれます。ゆ~らぎ橋を中心とした河川敷一帯を、ゆ~らぎ公園と呼ばれ散策もできます。
  ゆ~らぎ橋を渡ると湯郷温泉の案内がアナウンスが流れます。

○顕密寺の五大力餅会陽
  毎年2月第1日曜日には、大きな上餅、下餅、三方(木製台)あわせて総重量185kgもある巨大な鏡餅を運ぶ奇祭「五大力餅会陽」が行われます。この祭は1221年(承久3年)に後鳥羽上皇が隠岐の島に配流される途中、この寺に立ち寄り国家安泰・開運招福を祈願、近隣農民が献上した米5斗(10升が1斗)で大きい重ね餅を作り献上したことが由来といわれています。大人会陽では、2段の餅をもって最長距離を歩いた人が福男とされ、子ども会陽では長い間、上餅を持ち続けられるか時間を競います。五大力餅会陽に参拝すると、福智の力を授かると同時に厄除けになると昔から言い伝えられ、厄年の人はこの餅にさわると厄払い、体に悪いところがある人は餅にさわり、その手でなでると快方に向かうと言い伝えられています。参加者には参加賞の餅が配布されるほか、参拝者には餅まきも行われます。境内には巨樹「ラカンマキ」もそびえたっています。力自慢の方はもちろん、ぜひみなさんでご参加ください。


○英田歴史民族資料館
  美作市立英田図書館に併設している資料博物館。英田地域の歴史を伺い知れる地元の方より寄与された歴史資料や文化財を1階・2階のフロアで展示しています。主に1階では石臼や水車など昔の農作業具、手回しミシンや蓄音機など生活用品を展示しています。2階には、英田地域で発掘された土器の破片、陶棺など遺跡のほか、掛け軸など歴史資料が展示されています。この地を愛し生きぬいてきた先人たちの歩みを知ることができます。落ち着いた館内で先人たちの暮らしに思いをはせてみませんか。

○長福寺の三重塔
  鎌倉時代中期の弘安8年(1285年)に天台宗の円源上人によって建立された長福寺の三重塔は岡山県下で最古の木造建築物です。明徳年間(1350年頃)に真言宗の寺院になった長福寺は奈良時代(757年)、唐の高僧鑑真和尚が開基したと伝えられ、当初、三重塔とともに真木山の山頂にありました。しかし度重なる火災により、昭和3年に寺院が、昭和26年に塔が現在の位置に移りました。高さ約22m、鎌倉時代の建築様式を伝える三重塔は国の重要文化財、おかやまけん歴史の旅百選にも選定されています。寺院には木造十一面観音立像、絹本著色十二天像図、絹本著色両界曼荼羅図、絹本著色動明王像図の16点の国指定重要文化財が所蔵されています。集落を見守るように緑に映えて煌々とそびえ立つ三重塔の姿は、ビルのない山里の遠くからも見ることができ、のどかな風景に一滴の朱き名宝として輝いています。春はツツジ、夏は蓮、秋は紅葉、冬は雪化粧と訪れる人々の目を楽しませてくれます。

○滝の宮の天石門別(あめのいわとわけ)神社
  別名「滝の宮」がこのあたりの地名の由来にもなり、御祭神の鎮座は2000年も前に遡るという歴史ある天石門別(あめのいわとわけ)神社。こちらの境内の奥へすすむと、落差13m、幅5mの「琴弾の滝」を見ることができます。滝は2段からなり、上の滝を雄滝(おんたき)、下の滝を雌滝(めんたき)と呼ばれ、古くから知られている名瀑です。
夏は天然の涼場となり、秋は紅葉の美しいことで知られています。静寂に包まれた一帯は、滝や自然のマイナスイイオンとともに清清しい雰囲気が漂うパワースポットとしても人気の名所です。

○土居宿・四つ塚
 この惣門は、慶長年間(1596-1614)に幕府による出雲街道の整備にあたり、ここに美作七駅の1つとして土居宿駅を定めた際、東と西の出入り口に関門を設け、朝夕門番によって開閉し、国境の警備のために建築されたもので、明治2年の関所廃止令により取り壊されたものを平成13年3月復元建築したものです。門の造りは、高さ6m50cm、幅7m88cmで高麗門形式です。宿場町の両端に惣門を備えていたのは、全国的にもまれな事例といわれています。門のとなりには四つ塚志士顕彰碑が建てられ、周辺には一里塚など歴史に触れることができます。