美しく作るための花いっぱい作戦ブログ

美しく作るまちを目指し花いっぱい運動の予定や活動報告を掲載します。文化・芸術・音楽・歴史を絡めた活動も報告します。

辻先生の「新しい公共」の考え方

2012-04-04 22:35:14 | 地域リーダー養成塾

ご紹介にあずかりました一橋大学の辻でございます。行政学が専門で、特に地方自治論を専攻してまいりました。私からは、今回のテーマになっています
「新しい公共空間」とは何か、これについて原点に立ち返って説明すると同時に、パネルディスカッションで議論します自治経営の刷新について、大きな方向性を示してみたいと思います。本日用意したレジュメは三つの構成になっています。その他に二つ大きな図を示しています。まず、二つの図に基づいて新しい公共空間のイメージと今後の自治経営のイメージをつくっていただき、残りの時間で刷新の骨子はどういうものかを説明したいと考えております。端的に言うと、新しい公共空間というのは、図1の3段目のイメージです。新しいものがあると古いものがあるはずですが、古いものがその上の二つのイメージになります。日本が近代化を始めた明治維新のころ、行政を始めていった時代は、「公共=行政」というイメージだったと思うのです。江戸時代の時代劇で私たちがよく見るのは、お代官様が出てきますけれど、一般の住民から見ると、お侍さんと接する機会はほとんどなく、せいぜい地主さん、庄屋さんと接するくらいであり、限りなく公共ということを意識せず暮らしていけたのではないかと思うのです。明治の時代になって近代化を進め、軍隊をつくって、近代行政をしていく過程で、公共領域を行政、近代政府が担うという状況がしばらく続きます。しかし、官営工場払い下げ、電力民営化、軌道系交通の民営化などがあり、意外に早い時点で、公共サービスと言われる領域と行政といわれる領域には乖離が出てくることになります。つまり、公共サービスの一部を行政が提供するスタイルができ、少なくとも第二次世界大戦以前はこういう形でサービスが提供されてきたということです。しかし、自治体職員から見ると、「公共=行政」のイメージがずっと強かったのです。なぜか。自治体が住民に対して提供している基本的なサービスは、警察、消防、教育だと思うのです。この三つの分野のサービスは、市町村、県が直接提供し続けてきたということで、「公共=行政」のイメージが自治体においては非常に強い。しかし、日本全体で見ると、公共サービスの一部を行政が提供するという形で行われてきた。このイメージが以前の公共空間ということになります。こうした流れの中で、求められている新しい公共空間のイメージは、図1の3段目に示したものになります。この図では、民間部門を大きく二つの領域に分けて書いています。民間活動の中で、企業の利潤追求による活動の領域、これが資本主義国たる日本のベースとなります。もう一つ、今後退職して、別に退職に限らないのですが、地域に帰るという場合、利潤にこだわらず、私的にいろいろな活動をする領域があります。このように民間には二つの大きな活動領域があります。これから公共の世界は、若干広がっていくと考えられています。しかし、このコアになる行政は、まず全体として若干縮小します。しかし、大きな勢いでは縮小できない。もっと重要な変化は、この行政の中が三つの領域に分かれてくるということです。ここにいらっしゃる職員の方の多くは、任期に定めのない常勤職員がサービスを提供する部分にいます。新しい公共空間においても、ここの部分が経営の中心であることには変わりはありません。その一方で、行政の中のサービスでも、今まで以上に企業活動との接点が増えてくると思います。請負で業務をお願いしたり、任期付きで職員を雇用したりと、民間の利潤追求活動との接点の部分で、行政の側で活動してもらえる領域がある。また、同じ民間活用でも、有償ボランティア、非常勤職員、それから再任用というような形で私的活動との接点の部分で活動してもらえる領域もある。これらも含めて行政全体を維持していくということになっていきます。これはあくまで行政内部の話です。行政とは別なところで、民間企業にアウトソーシングして公共サービスを提供してもらう領域もあるし、市民・住民団体に自主的に自治的活動をしてもらい、それによって公共サービスを支える領域もある。この点をもう少し詳しく書いたのが図2になります。行政という囲みの部分がコアの部分です。今までも、民生委員や行政連絡員など、この行政の中で活躍してもらっている人たちがいます。それから、PFIやPPP、公営企業のような形態で、行政内部で企業活動をしてもらっている場合もあります。今後はこれらがさらに増え、NPO、PTA、社会貢献活動やボランティアなどの領域がさらに大きくなり、民間事業者による公共サービスも増えてくる。それから、新しい公共空間と私的活動の接点にあるようなもの、例えば、マンションの管理組合、こういったものは私的活動の領域であると同時に、一方ではある種の公共性を持つ領域にあり、今後これらをどうしていくかが大きな課題になってきています。これら全体として地域を経営していかなければならないのが、新しい公共空間における自治経営、地域経営ではないでしょうか。では、どういう経営が具体的に求められるのでしょうか。端的に言うと、なぜ、こうした公共空間になっていかざるを得なかったのか、なっていったのかについて
の私なりの答えはレジュメのⅠの部分です。少子高齢社会が大前提にあり、その中で分権が行われてきているということです。では、こういう新しい公共空間の中で、特に自治経営の戦略本部としての自治体に求められることは何かというと、ⅡとⅢになります。一つは、民間を活用していくという点。活用の仕方をマスターしていかなければならない。二つ目に、民間を活用するためには、本部自体に能力がないといけない。この能力をどうやって培っていくかというのが、Ⅲになるということです。少子高齢社会になると、なぜ自治経営が変わらなければならないか。理由は二つです。まず、お金がなくなるということです。少子高齢社会になると歳入は伸び悩む。これに対し、歳出は社会保障費に象徴されるように扶助費、義務的経費が増えていく。少々景気がよくなっても、なかなか歳入は増えない。しかし、歳出は確実に増えるということです。皆さんも行革疲れという実感がかなりあるかもしれません。切れども切れども、歳出の伸びは抑えることはできても、意外に減らない。しかも、歳入は遅々として増えない。そうした状況で、潜在的ギャップはむしろ拡大しているのではないかという気すらしているでしょう。歳入歳出の問題は非常に重要ですが、今の日本人の能力があればそんなに悲観すべきことではないと思っています。解決の方向は、理論的には簡単です。歳入を増やすためにある程度増税し、歳出を抑制するためにある程度サービスを抑制する。理論的に難しくてわからないことではないと思うのです。しかし、政治的にいつ増税し、どの程度のサービス水準にするかというのは大変難しいですが…。これに対して、もう一つ、少子高齢社会になって難しいこと、それは住民の求めるサービスです。その内容が変わってきていることです。自治体にとってはこちらの方が非常に重要なことです。住民の求めるサービスは、基本的に公平で平等なもの、安かろうまずかろうなものを公平に平等に行き渡らせる、行き渡らせるのに少々時間がかかっても構わない、しかし、ベースは公平・平等、こういったサービスが求められていたところでありましたが、これからは基本的に質的に多様なもの、それから、質の高いものを求める流れに変わってきていると思います。学校給食を象徴的に考えるとわかりやすいです。終戦直後から昭和20~30年代を経て、学校給食が定着していく中で、おいしさを求めた人はあまりいなかったと思います。私も小学校のころ、学校給食を残すと廊下に立たされる、だから給食は食べなければならないものでした。行政は実費負担で給食費を集めて、なるべく値段を抑えよう、しかし、お昼ぐらいは所得にかかわらず、子供の栄養も考えて、同じものを教育の一環である学校で食べさせよう。ところが、今は中学校で学校給食をやっているところを見ると、学校によっては残飯の嵐です。そこで、ちゃんと食べてもらうためにランチルームをつくったり、バイキング方式にしたり、地元の野菜を使ったり、さらに手を変え品を変え、サービスをよくしている。それで住民に喜んでもらおうと。こういうサービスの変化は、やはり少子高齢化と密接に関わっているのです。子だくさんの時代から、子供がいても1人といった少子化時代になった。お金が余っている家庭はないかもしれません。しかし、小銭は持っており、子供に接する時間が限られている中で、小銭に物を言わせて、子供にサービスをしようとしているところがあるのかもしれない。つまり、質の高いものを多様に要求するというのは、悪く言うとある意味ではぜいたくに、わがままになっているのです。しかし、行政サービスは、このわがままにある程度応えて住民満足を高めていくことで初めて進歩するところもあるし、逆に、余りにも応え過ぎると、行政として破綻を来してしまう。こういう時代になってきているのだと思います。ある程度時間はかかっても、公平にサービスを提供するということにおいては、日本の行政は先進国の中でも稀な優秀さを誇ります。行政に携わる皆さんは、公平にサービスを提供するということでは一生懸命やってきたのです。これに対して、今いろいろなことが住民から要望されています。金があれば全部それに付き合うのが正しい行政であるかのように錯覚している場合もないとは言えません。質の高いサービスを適度に、多様に提供していくということが、これからの自治経営にとって一番の課題になってくると思います。質の高いものを多様に提供するためには、行政だけでは機動性を欠くし、コストが高くつく。民間企業、民間団体の活力を活用しないと、トータルに最適なサービスは提供できません。これは、単にお金がないからということではないのです。質の高いサービスを多様に提供していくためには、どうしても社会の中心である企業、市民の皆さんの私的活動と行政との接点をもう一度探り、行政の内外でサービスを構築していかないといけない。質的にどうやってパワーアップしていくかということが、一番問われることだと思います。
地域経済がまだら模様の中、財政状況が非常に厳しい団体がある一方で、都心部の恵まれた地域では財政再建も一段落し、いろいろな上乗せサービスをしているところがあるかもしれません。しかし、それが本当にトータルで見て、新しい公共空間の中の官と民の役割分担や少子高齢化が継続していくという中で、最適なものなのかどうなのかを考えていかないといけない。このように考えていかなければならない時代になったということです。この問題を自治体にさらに決定づけたのが地方分権です。2000年4月の地方分権一括法の施行、この中で機関委任事務が廃止され、自治事務及び法定受託事務
が創設されたことが決定的に重要だったと思っています。今まで県庁や市役所が提供してきた重要なサービスは、機関委任事務に該当し、本来、国がやるべきものを国に代わってやっていた。国にマニュアルを提供してもらい、補助金を出してもらい、足りない部分は地方交付税で充当し、国の言うことさえ着実に守っていれば、財源的にも財政的にも十分やっていける。わからないところがあれば、県を介して国に聞けばいい。こうした世界から、これらのサービスは基本的に自治事務になり、県や国からの技術的助言はあるものの、悪い結果が起きてもその責任は一義的に市町村が負っていかなければならないという時代に変わってきた。質の高い多様なサービスを求める住民、県民の要望にどの程度応えていくか、自治体自らが意思決定、判断してやっていかなければならなくなってきた。これが自治経営を刷新していかなければならない今の状況です。国に言われたことを正確にやるなら、公務員倫理がしっかりしていれば、政策能力はさほど高くなくとも事務は執行できたかもしれません。しかし、30人学級がいいのか、25人か、35人か、40人がいいのかを教育の効果と将来における負担まで考えてどう判断するか、こういう問題が自治事務として投げかけられているわけですから、自分たちで決定していける能力を持っていかなければならない。それができるかどうかが自治経営の刷新の中で問われている本質的な問題です。対処の方策は、主に二つあります。一つは、民間を活用できるものについては、民間にお任せしていこうというものです。お任せの判断は難しいですが、市場原理が働くもの、完全競争の状態にあるようなものであれば基本的に民間を使って十分やっていけるのです。この場合、仮に市場原理が有効に活用できるならば、基本的には行政はなくてもいい。関与も少ないほうがいい。ですから民間委託ではなく民営化してしまったり、公共としては廃止してしまったり、このように思い切って見直しをすることが、全体としてパフォーマンスを高めると考えられます。行政が今までやってきた部門、特に自治体がやってきた領域は、市場原理がそのまま適合できるものは意外に少ない。民間企業のほうがよくできるけれど寡占、独占になってしまう。市場原理が働くものは、実はそんなに多くない。でも、象徴的な例はいくつかあります。例えば、住宅政策です。どこの県や大きな市も、民間の供給が増えていく中で一般宅造からは基本的に撤退し始めています。そうした中で公営住宅を、今後どの程度維持していくかということです。私たちには馴染みのある公営住宅ですが、世界で見ると、公営住宅を持っているのは決して普通ではないのです。日本のように戦争で焼け出されて、著しく住宅ストックが欠如したことのある国か、貧困問題、スラム問題が深刻なところ以外は公営住宅を持っていない。民間も含めて、世帯数を上回る住宅ストックがある現在、社会保障制度と相互に考えると、どれだけ住宅を維持し続けるかというのが重要な課題です。公営住宅は一般財源化も行われつつありますので、市町村、県としても、大きな選択のポイントになります。生涯学習の領域も昔と違って、今はほとんどのことが民間団体、民間企業でも提供できるようになっています。これを地方都市で行政が一生懸命やったりすると、逆に、経済学用語で言う「クラウディングアウト」現象が起き、民間が活動しづらくなるという状況が生じる。一番の問題は、民間でもできる、民間の方がよくできるかもしれない、しかし独占、寡占になってしまうサービス領域です。昔は公共がやっていたから、民間企業はなかなか育っていなかった。公務員の給与体系を考えると、若いうちは良質なサービスを安く提供できるので人手不足の中では公共がやったほうが効果的な場合があった。しかし、今では独占、寡占のものも、基本的に民間企業に提供してもらったほうがいい。それは、行政コストが高くなってきているということもありますが、それ以上に質の高いサービスを多様に求める住民ニーズがあるからです。ただし、市場原理が働かないので、行政は丸投げでは困るのです。民間企業によるサービスの価格と品質が的確であるかどうかを監視したり、指導したりする役目が必要になります。この役目を十分果たせるかどうかは、なかなか大変です。場合によっては、民間企業の方が優れている場合が多いからです。いかに監視、指導していくか。その能力がうまく発揮できないと全体としてのパフォーマンスは維持できません。例えば、ITサービスに対して、どれだけ適正な価格で、維持管理も含めてやれるかというのを見ると、自分たちの市役所、役場の新しい公共空間における政策能力が象徴的にあらわれてくるのではないかと思います。民間企業から見ると、取れる価格が最適価格となります。場合によっては公共がある程度、力を持ち続け、いざとなったら民間企業に取って代わってサービスを提供できる能力がないと、真の意味で効果的、効率的な公共空間は形成されないとも考えられます。ここが難しいところです。自分たちのわからないことを民間企業にやってもらうという姿勢だと、カモられてしまうかもしれない。業務を外に出すか出さないかといった内向きの労使協議ばかりに時間をかけて、肝心の民間活用の部分を十分に検討できないで民間委託を進めているとすれば、それは大変残念なことです。民間企業を活用するためのポイントは、自分たちがどのぐらい仕事ができるかということです。相対の中で市場原理が働きませんので、民間企業を働かせるためにも、このことは重要であり、この良し悪しが民間企業の活動に大きく反映されてきます。新しい公共空間では、行政のパフォーマンスが今まで以上に高く求められています。そうした中で、今、総人件費の抑制ということが言われています。義務的経費がどんどん増えてくる中、少しでもサービスを増やすには、人件費は削ってほしい、これは住民の切なる願いで、多分、今後も変わらないでしょう。総人件費を節約するためには、方法は二つしかない。給料を下げるか、職員を減らすかです。どちらが正解かというと、私は、人を減らす方だと思います。仕事自体が自治事務となり、難しくなってきて、働いている個人は今まで以上に厳しい仕事を、厳しい勤務条件の中で求められているからです。本来は給与も増やしたいところですが、少しでも今の状況を維持するために少数にしていく。同時に、精鋭にしていくということが必要です。それ以上に、改めて新しい地域づくりが求められている中で、どうやったらプラスの地域づくりができるのかについても考えなくてはならない。単に縮小するだけではなく、頭を使って企画のできる人材が求められているということです。少数にすると自動的に精鋭になると言った人もいましたが、実態はなかなか難しい。少数の人たちに、どうやったら能力以上のものを引きだしてもらえるのか、能力に見合った成果を上げていってもらえるのかを検討しなければならない。勤務条件が厳しい中、結果的に仕事が難しくなり、仕事ができる人にますます仕事が集中し、比較的のんびりやっている人は、自分はやっているつもりでも、相変わらず端から見るとのんびりやっている状況にもなっているかもしれない。私は、ある程度、業績に見合った人事考課を的確に
入れて、今まで以上に仕事をしている人と仕事をしていない人に差をつけていく、例えば、勤勉手当、査定昇給の違いにあらわれて、働いたら働いた分、それに見合った給与を手にできるようにしていく必要があるのではないかと思う。少数にして精鋭の職場体制をつくっていくためにはそうした勤務評定を充実することが重要です。精鋭の人たちがしっかりしないと、民間の人たちは活動してくれない。新しい公共空間自体が広がっていくなか、そのコアとなる行政の人たちは、より一層重い任務を背負っていかなければならない、これが今の自治経営の刷新の現状ではないかと思います。以上で基調講演を終わります。ご清聴いただきありがとうございました。