美しく作るための花いっぱい作戦ブログ

美しく作るまちを目指し花いっぱい運動の予定や活動報告を掲載します。文化・芸術・音楽・歴史を絡めた活動も報告します。

「知」を楽しむとは…

2011-10-24 00:29:08 | ふるさと検定

ふるさと検定は大きく方向性や意義を変えつつあります。

なぜ、そうなったかを文章で伝えるのは難しい。

文章で伝えるのは難しいけど、ちゃんと伝えようとするならば、口頭で伝えるよりも文章の方が正しく伝わると思う。(なんじゃそりゃ)

横道にそれますが、そのことについては今回ホントに再確認した思いがします。もちろん、相手の方がこちらの文章から言いたいこと伝えたいことをちゃんと読み取ってくれる土台があって、さらにこちらが正確な日本語で(コトバの程度の問題よりも伝えたいことが何なのか、ハッキリしていることが大切)、伝えられる文章を書くことが大切です。が…。

なかなか口頭だと勢いや性格、感情といったものが邪魔をして会話が成立しないときがあります。さらに個人的な関係さえ悪化させてしまうこともあります。もちろん、ダイレクトに気持ちを伝えあうコミュニケーションこそ一番大切なのですが、ときとして、そうではない方法をとることがいいこともありますね。と言う話です。

「知」を楽しむ。僕たちが考えなくてはいけないのは、自分だけが「知」を楽しんでるつもりで、自分の知っていることを自慢気に話して、聞いてる人を退屈させてしまうような人を作ることではないのです。

「知」を楽しむとは、それぞれの心に眠っている知的好奇心の窓を開け放ち、それぞれの分野で知識の迷宮に旅立つきっかけを作ろうというものです。その入り口に文学を利用したり、芸術を利用したり、はたまた道徳を利用したりと思っていますが、行き着くところは「知」を楽しめる人間作り、人格、品格づくりです。簡単に言えばこれもひとづくり。ひとづくりはまちづくり。その中で、地元のことを知るきっかけをじっくり腰を据えてやるべきなのかなと考えるようになってきました。

地元のことばかり問題にして、がむしゃらに地元のことだけ頭に詰め込んでも、そのときの歴史背景や日本の政治の流れがわからずに、このまちのなかのことだけを勉強したのでは、それこそ井の中の蛙づくりになってしまい、大変ですからね。

でも、僕自身勉強することは苦手なんです。勉強というと努力というイメージがあって、努力の大切さはよく分かるんですが、よく分かる故にハードル勝手に上げちゃうんですよね(^^;)

 

 


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