○吉川英治の「宮本武蔵」特集
問題16
(吉川英治著「宮本武蔵」より) 慶長9年(1604)、武蔵が吉岡清十郎と決闘したときのルールはどうだったでしょう?
①死ぬまで戦う ②一撃を与えたら即終了 ③「参った」と言ったら即終了
正解②
解説 宮本武蔵の勇名剣士を倒す路線は、京都で長く剣術道場として名高かった吉岡道場から始まります。小説では、互いに木刀で行い一撃を与えたら、即終了ということになっています。洛外の蓮台野(れんだいの)で行なわれたこの決闘で、武蔵は清十郎に一撃を与え清十郎は負け、その後出家したことになっています。なお清十郎は兵術家で、吉岡憲法の四代目です。
問題17
(吉川英治著「宮本武蔵」より) 吉岡清十郎が負けたあと、武蔵がその弟、吉岡伝七郎と対戦したのはどこでしょう?
①三条粟田口 ②清水寺 ③三十三間堂
正解③
解説 三十三間堂で戦うことになっています。映画では、長い廊下の端と端にいる両者が互いに徐々に近づいていく場面がありますが、これが緊張を醸し出しており、伝七郎はこの決闘で落命します。
問題18
(吉川英治著「宮本武蔵」より) 吉岡伝七郎が負けたあと、吉岡一門が武蔵に挑んだのはどこでしょう?
①一乗寺下り松 ②二条荒神橋 ③五条坂
正解①
解説 吉岡一門は、吉岡清十郎の嫡子又七郎を名目人として、一乗寺下り松に集結しました。多勢に無勢ながら、武蔵は松の背後の坂道を一気に下って幼い又七郎を切り倒しました。
問題19
(吉川英治著「宮本武蔵」より) 吉岡との対決後、武蔵は奈良宝蔵院流槍術と対戦します。さて、それはどこの寺でしょう?
①東大寺 ②興福寺 ③唐招提寺
正解②
解説 興福寺の宝蔵院槍術は当時古今無双を誇っていました。武蔵の対戦申し出でに、奥蔵院道栄が相手となりますが、武蔵が二番とも勝ちます。試合後、二人は互いに相手を褒め合い、謙虚に語りあいました。
問題20
(吉川英治著「宮本武蔵」より) 奈良を後にした武蔵は、次に鎖鎌の宍戸梅軒(ししどばいけん)と対戦します。さて、梅軒とは何者でしょう?
①元野武士 ②元忍者 ③元山賊
正解②
解説 元々伊賀の忍者でしたが、徳川新体制で藤堂高虎が伊賀を領有することとなって、再び伊賀に戻ってきました。この対戦では梅軒は武蔵に敗れますが、そもそもこの梅軒なる人物は創作されたようです。
問題21
(吉川英治著「宮本武蔵」より) 武蔵が慶長17 年(1612)4 月13 日に佐々木小次郎と対戦した場所はどこでしょう?
①舟島 ②彦島 ③月島
正解①
解説 「巌流島の決闘」として名高い場所です。武蔵は櫂から作った荒削りの木剣を使い、佐々木小次郎は”燕返し”の技をほしいままに繰出す長剣(人呼んで物干竿)でした。武蔵は眉間を切られたものの小次郎の脇腹を強打して倒しました。
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