「トスカーナの奇妙な休日」
昨夜は日記もつけずに寝たので、列車待ち(3時間!)の合間に書いている。
まず、朝、事件が。
7時前に目が覚めたものの、朝食は8時半なのでやることがない。
周囲はまだ誰も起きてこない。
そこで2階にある部屋から廊下に出て、テラスにあるイスでガイドブックを読むことにした。
8時になり、そろそろ支度をしようとガラス扉に手をかけたら……開かない。
どうやら内側からは開いても、外側からは開かないらしい。
仕方ないので通りかかる人を待つことに。
30分ほど待ち、ようやく起きてきた女性に開けてもらった。
「大変だったね」という感じの言葉をかけられ、「ガイドブックがあったから」と強がってみたが、どうなんでしょう。
朝食を済ませ、ふたたびYHのデスクトップPCを借りる。
Eメールの返信はまだない。
加えて問い合わせた日付が8日(金)になっていた(この時点での明後日)ことに気づく。
携帯電話でイタリア(ローマ)時間を併記させ時刻を確認していたのだが、日付の表示は当然日本時間のままだ。
失敗した。
訂正すると混乱しかねないので、7日(明日)のホテルはいまから急いで探すことにする。
中央広場にある観光案内所で、コインランドリーで聞いた周辺の観光情報を確認する。
どうやら眺めがいい場所というのは、2キロ先にあるバルベリーノというところのようだ。
歩いて行くことも可能。
一本道をまっすぐ進めばいいらしい。
今日はバルベリーノに行ってみようか。
ついでに公衆電話の場所を確認すると、観光案内所の脇にあった。
まずは明日泊まるところの確保だ、とガイドブック片手にヴェネツィアでも比較的安いホテルに電話する。
つながって、シングル60ユーロならあるという。
もうそれでいいやと押さえるつもりが、クレジットカードの番号を聞かれる。
クレジットカードの番号を伝えないと、予約できないそうだ。
ここでタケムラさんから聞いたテクニックを思い出す。
本人がクレジットカードを所持していなくても、家族の番号を伝えて、料金は現金で支払うという方法があるというのだ。
いったん切り、日本に電話(家族が帰宅する時間まで、2時間ほど両替などして時間を潰す)。
家族のクレジットカード情報を聞き(番号、期限、タイプ等)、再度ホテルに電話。
さっきの人? というようなやりとりののち、家族のクレジットカード番号でかまわないとのことで予約成功。
これで安心して観光ができる。
2キロ先の眺望スポットであるバルベリーノに向かおうとしたのだが……ふと思いつく。
バスはないのだろうか。
こちらの観光案内所でものを尋ねると、必要以上の情報はもらえないことが多い。
たとえば「歩くと遠いですよ。バスがあります」などと親切にすすめてくれることは少ない(まあ、ヴァティカンではそれで逆に被害を蒙ったが)。
再度観光案内所で詳細に質問。
タヴァルネッレ周辺の観光スポットは、2キロ先がバルベリーノ、5キロ先がサン・ジミニャーノというところのようだ。
またトスカーナ州はワインの産地なので、ワイナリーも点在し、そちらも人気の模様。
さらに聞いてみると、5キロ先のサン・ジミニャーノは往復のバスがある。
しかし午前中3本、夕方2本。
現在12時。
つぎのバスは夕方です……先に言えよ……
(※日本に帰ってきて調べたら、サン・ジミニャーノ歴史地区は世界遺産だった……そういう説明もない!)
快晴の下、バルベリーノに向かって歩道を歩いていく。
少しタヴァルネッレから外れると、そこはオリーブの畑になっている。
なかなかイタリアの田舎っぽい風情。
そろそろバルベリーノというあたりで、道が大きく曲がり、曲がりきった先で展望が開ける。
トスカーナの風景が広がっていた。
すると、風景の前方に、人影が3つある。
どうやら例の学生3人組だ。
朝食のとき会話したのだが、男の子は自然を見るために旅行に来たと言っていたので、サン・ジミニャーノではなくバルベリーノを目指したということだろう。
声をかけると「ちょうど日本人の君のことを話していた」という。
近くに眺望スポットがある、という情報を教えていたからだ。
せっかくなので一緒にバルベリーノに行ってみることにする。
(この時点では、まさか丸一日行動を共にするとは思わなかった。)
改めて自己紹介。
まずファマル24歳。
ガールフレンドのレマ21歳。
レマの友人タヴァ23歳。
ファマルはマレーシア系イギリス人。
レマとタヴァはマレーシア人。
バルベリーノは小さな集落で、城壁(跡)や石造りの街並みが残っている。
小さいが歴史のある教会などもあるようだ。
ファマルたちと話しながら路地を歩いていく。
途中、のどが渇いたとレマとタヴァが食料品店で買い物をすることに。
すると3人はイタリア語をまったく知らないことが判明。
英語が通じないこの郊外では、私のほうが頼りにされるという一種の逆転現象が起きた。
教会は非常に趣のある、こじんまりとした教会で、とてもよかった。
不思議なことに即身仏(ミイラ)が展示されていた。
タヴァに呼ばれ行ってみたのだが、「mummy?」と聞いたらYesと言っていたので、おそらく間違いない。
ここでファマルが隣にいた観光客にとミイラについて立ち話。
ファマルは相当なおしゃべり好きで、機会があれば誰彼なしに話しかける。
外へ出てその観光客と話してみると、アメリカ・オハイオ州からやってきた夫妻だという。
オハイオおじさん(と勝手に命名)はかなり陽気なおしゃべり。
最後はオハイオ(大学?)のO-H-I-Oのハンドサインを教えられ、そのポーズでファマルたちと記念撮影。
なんだかよくわかりません。
私以外は英語で十分にコミュニケーションがとれ、会話が弾むが、何を言っているか聞き取れない私はぼんやりとするばかり。
おじさん夫婦と別れ、さらに進むと展望デッキがあったので、記念撮影。
そのすぐ先で街並みは途切れ、バルベリーノはどうやらここまでの模様。
ファマルたちはもっと先に進みたいらしく、道路脇にある農場に入れないか道を探ったりしている。
どうやらレマとタヴァがワイナリーに行ってみたいらしい。
ファマルから進む方向ついて意見を求められるが、タケムラさんからそういう場所の存在について聞いていたものの、具体的な行き方まではわからない。
ともかく昼食をとるためにバルベリーノの中心部に戻ることに。
戻る道すがら、観光案内所を発見。
3人を連れていき、ワイナリーについての情報を得るようアドバイス。
女性2人がガイドから聞き出したところによると、有名なワイナリーは少々遠いが、タヴァルネッレから2キロの場所に小さなワイナリーがあるので、そこに行くことにしたようだ。
一緒に来ないか、とファマルに誘われ、予定もないので快諾する。
バルベリーノにあったトラットリアでは、ランチが15ユーロだった。
タヴァルネッレならもっと安く食べられるとファマルたちが言うので、タヴァルネッレまで一旦帰ることにする。
この時点で時刻は15時半。
その小さなワイナリーの営業時間は19時まで。
急がなければならないはずなのだが、女性たちはおしゃれなサンダルとパンプス(フラットヒールパンプス?)なので、歩くペースがいかんせん遅い。
おしゃべりしたり、一緒に歌を歌ったりして、ベンチがあればそこで休む。
それにあわせて私とファマルは肩を並べて歩く。
片言の英語でファマルといろいろ話をした。
ファマルは今夏大学を卒業した。
専攻はインダストリアルデザインなのだが、デザインの仕事はやりたくないので、パートタイムジョブで金を貯めながら向いている仕事を探すつもりのようだ。
タヴァルネッレでファマルたちおすすめのピッツェリア(安くて大きい)に行ってみるが、店が閉まっていた。
(夜は17時や19時からから開店という店が多い……現在16時45分。)
結局近所のバールに入り、うまくもまずくもないスパゲッティーを食べ、ワイナリーを目指す。
この時点で17時を過ぎている。
タヴァルネッレのロータリーから、今度は別の方角へ道を歩いていく。
(MARCIALLAという標識に従って進めば、途中にあるというのだ。)
しかし、今度は歩道がない。
もしかすると、自動車専用道なのではないか。
車がものすごいスピードで走り抜けていく。
その脇を一列になって歩く。
これをマレーシア人と日本人がやるから、目立つ目立つ。
みな不審げな目で見ている。
周囲はオリーブやぶどうの畑が延々と続いている。
最初は意気揚々としていたレマとタヴァだが、だんだんと無口に。
1時間ほど歩いたところで、レマが傍らの草むらに座り込んでしまう。
ファマルは励ましているが、レマは休みたいらしい。
なにやら言い合いに。
ファマルがやってきて、どうしよう、と聞いてきた。
ファマルはもう引き返すべきだと考えているようだ。
時間は18時半。
あと10分進んで、何も見つからなければ帰ろう、と提案。
ファマルも納得したようだ。
レマを抱き起こし、ゆっくりと歩き始める。
もしワイナリーに見つけたとして、最低でも20分くらいは試飲にかかるだろう……と踏んでの10分だったが、3分も歩かないうちに「WINE FREE TASTE」の看板が。
急に元気になる女性陣。
あったのは本当に小さな醸造所で、女性のオーストリー人(ワイン留学生?)が対応してくれた。
自分のところでつくったワインの即売をしていて、購入希望者はテイスティングをさせてくれるとのこと。
女性たちは買う、と宣言し、全員で赤(2005年もの)を試飲。
渋い。
グラッパの試飲させてくれたが、これはキツイんだよなーとすぐ水で流す。
オリーブオイルもつくっているそうだ。
いまは醸造の時期でないのでタンクは空。
機械なども見せてもらったが、やっぱり何も買わず。
女性陣はかなり満足気な様子となり、ワイナリーを後にする
帰りも歩き。
総計すると8キロは歩いたことになる。
レマは靴が壊れてしまった(靴擦れができていたので絆創膏をあげた)。
朝食の買出しに行くという3人と別れ、YHへ。
まずはメールチェック。
宿泊施設から空きありとの回答あり。
ここでもクレジットカードの情報を求められたので、メールに書き込んで送信。
それから入り口脇のベンチに腰掛け、今後の旅程を考えることにした。
次はヴェネツィアに行くとして、その後どうするか。
ミラノにそのまま行くのか、シエナやピサに立ち寄るのか。
ラヴェンナもいいと聞くが、そこまで回る余裕はないし……最終日ローマに戻らなければならないのは本当にネックだ。
思案にふけっていたら、タヴァがみんなでフェスティバルに行かないか、と誘いにきた。
タヴァルネッレは昨夜も屋台が出ていたが、今週ずっとお祭りのようだ。
今夜はディズニーのキャラクターに扮装した人たちがレストランを開いている。
ここでなんとオハイオおじさん夫妻と再会。
ファマルたちは盛り上がるが、英語のわからない私は眠いだけ。
おじさんも気を遣って話をふってくるが、言っている内容がわからない。
ファマルたちが簡単な言葉に直してくれ、私のめちゃくちゃな単語の羅列をおじさんに整理して伝えてくれる。
なんだかよくわからないが、おじさんに励まされた。
10時にYHに戻り、メールチェック。
返事はない。
とりあえず明日の宿は確保してあるので、また明日考えよう。
明日は何時の列車がとれるかわからないし、6時起き、7時出で停留所に行き、フィレンツェに向かうことにした。
ファマルたちも同じくらいの時間に出るようだ。
早出なので、夜のうちにレセプションで精算。
ビールを飲んで、ともかく寝る。
昨夜は日記もつけずに寝たので、列車待ち(3時間!)の合間に書いている。
まず、朝、事件が。
7時前に目が覚めたものの、朝食は8時半なのでやることがない。
周囲はまだ誰も起きてこない。
そこで2階にある部屋から廊下に出て、テラスにあるイスでガイドブックを読むことにした。
8時になり、そろそろ支度をしようとガラス扉に手をかけたら……開かない。
どうやら内側からは開いても、外側からは開かないらしい。
仕方ないので通りかかる人を待つことに。
30分ほど待ち、ようやく起きてきた女性に開けてもらった。
「大変だったね」という感じの言葉をかけられ、「ガイドブックがあったから」と強がってみたが、どうなんでしょう。
朝食を済ませ、ふたたびYHのデスクトップPCを借りる。
Eメールの返信はまだない。
加えて問い合わせた日付が8日(金)になっていた(この時点での明後日)ことに気づく。
携帯電話でイタリア(ローマ)時間を併記させ時刻を確認していたのだが、日付の表示は当然日本時間のままだ。
失敗した。
訂正すると混乱しかねないので、7日(明日)のホテルはいまから急いで探すことにする。
中央広場にある観光案内所で、コインランドリーで聞いた周辺の観光情報を確認する。
どうやら眺めがいい場所というのは、2キロ先にあるバルベリーノというところのようだ。
歩いて行くことも可能。
一本道をまっすぐ進めばいいらしい。
今日はバルベリーノに行ってみようか。
ついでに公衆電話の場所を確認すると、観光案内所の脇にあった。
まずは明日泊まるところの確保だ、とガイドブック片手にヴェネツィアでも比較的安いホテルに電話する。
つながって、シングル60ユーロならあるという。
もうそれでいいやと押さえるつもりが、クレジットカードの番号を聞かれる。
クレジットカードの番号を伝えないと、予約できないそうだ。
ここでタケムラさんから聞いたテクニックを思い出す。
本人がクレジットカードを所持していなくても、家族の番号を伝えて、料金は現金で支払うという方法があるというのだ。
いったん切り、日本に電話(家族が帰宅する時間まで、2時間ほど両替などして時間を潰す)。
家族のクレジットカード情報を聞き(番号、期限、タイプ等)、再度ホテルに電話。
さっきの人? というようなやりとりののち、家族のクレジットカード番号でかまわないとのことで予約成功。
これで安心して観光ができる。
2キロ先の眺望スポットであるバルベリーノに向かおうとしたのだが……ふと思いつく。
バスはないのだろうか。
こちらの観光案内所でものを尋ねると、必要以上の情報はもらえないことが多い。
たとえば「歩くと遠いですよ。バスがあります」などと親切にすすめてくれることは少ない(まあ、ヴァティカンではそれで逆に被害を蒙ったが)。
再度観光案内所で詳細に質問。
タヴァルネッレ周辺の観光スポットは、2キロ先がバルベリーノ、5キロ先がサン・ジミニャーノというところのようだ。
またトスカーナ州はワインの産地なので、ワイナリーも点在し、そちらも人気の模様。
さらに聞いてみると、5キロ先のサン・ジミニャーノは往復のバスがある。
しかし午前中3本、夕方2本。
現在12時。
つぎのバスは夕方です……先に言えよ……
(※日本に帰ってきて調べたら、サン・ジミニャーノ歴史地区は世界遺産だった……そういう説明もない!)
快晴の下、バルベリーノに向かって歩道を歩いていく。
少しタヴァルネッレから外れると、そこはオリーブの畑になっている。
なかなかイタリアの田舎っぽい風情。
そろそろバルベリーノというあたりで、道が大きく曲がり、曲がりきった先で展望が開ける。
トスカーナの風景が広がっていた。
すると、風景の前方に、人影が3つある。
どうやら例の学生3人組だ。
朝食のとき会話したのだが、男の子は自然を見るために旅行に来たと言っていたので、サン・ジミニャーノではなくバルベリーノを目指したということだろう。
声をかけると「ちょうど日本人の君のことを話していた」という。
近くに眺望スポットがある、という情報を教えていたからだ。
せっかくなので一緒にバルベリーノに行ってみることにする。
(この時点では、まさか丸一日行動を共にするとは思わなかった。)
改めて自己紹介。
まずファマル24歳。
ガールフレンドのレマ21歳。
レマの友人タヴァ23歳。
ファマルはマレーシア系イギリス人。
レマとタヴァはマレーシア人。
バルベリーノは小さな集落で、城壁(跡)や石造りの街並みが残っている。
小さいが歴史のある教会などもあるようだ。
ファマルたちと話しながら路地を歩いていく。
途中、のどが渇いたとレマとタヴァが食料品店で買い物をすることに。
すると3人はイタリア語をまったく知らないことが判明。
英語が通じないこの郊外では、私のほうが頼りにされるという一種の逆転現象が起きた。
教会は非常に趣のある、こじんまりとした教会で、とてもよかった。
不思議なことに即身仏(ミイラ)が展示されていた。
タヴァに呼ばれ行ってみたのだが、「mummy?」と聞いたらYesと言っていたので、おそらく間違いない。
ここでファマルが隣にいた観光客にとミイラについて立ち話。
ファマルは相当なおしゃべり好きで、機会があれば誰彼なしに話しかける。
外へ出てその観光客と話してみると、アメリカ・オハイオ州からやってきた夫妻だという。
オハイオおじさん(と勝手に命名)はかなり陽気なおしゃべり。
最後はオハイオ(大学?)のO-H-I-Oのハンドサインを教えられ、そのポーズでファマルたちと記念撮影。
なんだかよくわかりません。
私以外は英語で十分にコミュニケーションがとれ、会話が弾むが、何を言っているか聞き取れない私はぼんやりとするばかり。
おじさん夫婦と別れ、さらに進むと展望デッキがあったので、記念撮影。
そのすぐ先で街並みは途切れ、バルベリーノはどうやらここまでの模様。
ファマルたちはもっと先に進みたいらしく、道路脇にある農場に入れないか道を探ったりしている。
どうやらレマとタヴァがワイナリーに行ってみたいらしい。
ファマルから進む方向ついて意見を求められるが、タケムラさんからそういう場所の存在について聞いていたものの、具体的な行き方まではわからない。
ともかく昼食をとるためにバルベリーノの中心部に戻ることに。
戻る道すがら、観光案内所を発見。
3人を連れていき、ワイナリーについての情報を得るようアドバイス。
女性2人がガイドから聞き出したところによると、有名なワイナリーは少々遠いが、タヴァルネッレから2キロの場所に小さなワイナリーがあるので、そこに行くことにしたようだ。
一緒に来ないか、とファマルに誘われ、予定もないので快諾する。
バルベリーノにあったトラットリアでは、ランチが15ユーロだった。
タヴァルネッレならもっと安く食べられるとファマルたちが言うので、タヴァルネッレまで一旦帰ることにする。
この時点で時刻は15時半。
その小さなワイナリーの営業時間は19時まで。
急がなければならないはずなのだが、女性たちはおしゃれなサンダルとパンプス(フラットヒールパンプス?)なので、歩くペースがいかんせん遅い。
おしゃべりしたり、一緒に歌を歌ったりして、ベンチがあればそこで休む。
それにあわせて私とファマルは肩を並べて歩く。
片言の英語でファマルといろいろ話をした。
ファマルは今夏大学を卒業した。
専攻はインダストリアルデザインなのだが、デザインの仕事はやりたくないので、パートタイムジョブで金を貯めながら向いている仕事を探すつもりのようだ。
タヴァルネッレでファマルたちおすすめのピッツェリア(安くて大きい)に行ってみるが、店が閉まっていた。
(夜は17時や19時からから開店という店が多い……現在16時45分。)
結局近所のバールに入り、うまくもまずくもないスパゲッティーを食べ、ワイナリーを目指す。
この時点で17時を過ぎている。
タヴァルネッレのロータリーから、今度は別の方角へ道を歩いていく。
(MARCIALLAという標識に従って進めば、途中にあるというのだ。)
しかし、今度は歩道がない。
もしかすると、自動車専用道なのではないか。
車がものすごいスピードで走り抜けていく。
その脇を一列になって歩く。
これをマレーシア人と日本人がやるから、目立つ目立つ。
みな不審げな目で見ている。
周囲はオリーブやぶどうの畑が延々と続いている。
最初は意気揚々としていたレマとタヴァだが、だんだんと無口に。
1時間ほど歩いたところで、レマが傍らの草むらに座り込んでしまう。
ファマルは励ましているが、レマは休みたいらしい。
なにやら言い合いに。
ファマルがやってきて、どうしよう、と聞いてきた。
ファマルはもう引き返すべきだと考えているようだ。
時間は18時半。
あと10分進んで、何も見つからなければ帰ろう、と提案。
ファマルも納得したようだ。
レマを抱き起こし、ゆっくりと歩き始める。
もしワイナリーに見つけたとして、最低でも20分くらいは試飲にかかるだろう……と踏んでの10分だったが、3分も歩かないうちに「WINE FREE TASTE」の看板が。
急に元気になる女性陣。
あったのは本当に小さな醸造所で、女性のオーストリー人(ワイン留学生?)が対応してくれた。
自分のところでつくったワインの即売をしていて、購入希望者はテイスティングをさせてくれるとのこと。
女性たちは買う、と宣言し、全員で赤(2005年もの)を試飲。
渋い。
グラッパの試飲させてくれたが、これはキツイんだよなーとすぐ水で流す。
オリーブオイルもつくっているそうだ。
いまは醸造の時期でないのでタンクは空。
機械なども見せてもらったが、やっぱり何も買わず。
女性陣はかなり満足気な様子となり、ワイナリーを後にする
帰りも歩き。
総計すると8キロは歩いたことになる。
レマは靴が壊れてしまった(靴擦れができていたので絆創膏をあげた)。
朝食の買出しに行くという3人と別れ、YHへ。
まずはメールチェック。
宿泊施設から空きありとの回答あり。
ここでもクレジットカードの情報を求められたので、メールに書き込んで送信。
それから入り口脇のベンチに腰掛け、今後の旅程を考えることにした。
次はヴェネツィアに行くとして、その後どうするか。
ミラノにそのまま行くのか、シエナやピサに立ち寄るのか。
ラヴェンナもいいと聞くが、そこまで回る余裕はないし……最終日ローマに戻らなければならないのは本当にネックだ。
思案にふけっていたら、タヴァがみんなでフェスティバルに行かないか、と誘いにきた。
タヴァルネッレは昨夜も屋台が出ていたが、今週ずっとお祭りのようだ。
今夜はディズニーのキャラクターに扮装した人たちがレストランを開いている。
ここでなんとオハイオおじさん夫妻と再会。
ファマルたちは盛り上がるが、英語のわからない私は眠いだけ。
おじさんも気を遣って話をふってくるが、言っている内容がわからない。
ファマルたちが簡単な言葉に直してくれ、私のめちゃくちゃな単語の羅列をおじさんに整理して伝えてくれる。
なんだかよくわからないが、おじさんに励まされた。
10時にYHに戻り、メールチェック。
返事はない。
とりあえず明日の宿は確保してあるので、また明日考えよう。
明日は何時の列車がとれるかわからないし、6時起き、7時出で停留所に行き、フィレンツェに向かうことにした。
ファマルたちも同じくらいの時間に出るようだ。
早出なので、夜のうちにレセプションで精算。
ビールを飲んで、ともかく寝る。