さゆりのひとり言-多発性骨髄腫と共に-

多発性骨髄腫歴20年/'08年4月臍帯血移植/「病気は個性」時にコケながらも前向きに/はまっこ代表/看護師/NPO所属

熱さ再び!?

2006年01月22日 19時11分30秒 | MM闘病記
今日は少しだけ部屋の掃除をしたり、読書をしたり、ゆっくりお風呂に入ったりしてのんびりと過ごす。
ついつい山にしてしまう、ダイレクトメールや明細書の片づけをしていたら、
外来時にもらったデータが、整理もされずに溜まっていることに気づく。
長いこと、きちんと整理してファイリングしていたのだが、
数ヶ月前からはあまり整理もせずに、書類の山の中に埋もれていた。
どこかで、自分の病気のことは喉元を完全に過ぎてしまっていたのかもしれない。

現実逃避というわけではない。
ただ単純に、病気になる事でいったんは完全に打ち消された当たり前のことが、最近の体調の良さもあり、リセットされたかのように思っていたのだ。
当たり前に結婚して、当たり前に子供を産んで、当たり前に歳をとっていけると思っていたことを。

ところが、これまでの採血データを時系列に眺めて、私の飲み込んだはずの熱さがよみがえった。
IgGは正常範囲内?
確かにその通り。
しかし、確実にその正常範囲内の中でいやらしく上昇しているではないか。
主治医は簡単に、増えているのは正常な免疫グロブリンが増えているのでしょう、なんて言っていたけど。
いまだ正常値に満たないIgAは更に下がっているではないか。

確かに、そのほかの数値はなんら問題はないけど。
でも、私には何らかの警告を発しているかのように思えてきた。
このままではいけないって言うこと?

もし、今の生活を続けられる時間に限りがあるなら、もし、それが明確なのであれば、私は生き方を変えるのだろうか。
ちなみに、ここ最近の考え方はこうだ。
仕事:今年度までは今の病院で働くができれば来年の3月には転職をしたい。
それを視野に入れて、今年は7ヶ月間の講習を受けて産業カウンセラーの資格をとろうと考えている。ゆくゆくは、独立できたりするまでスキルアップしていきたいし、自分なりの立場を確立していきたい。
恋愛:入退院を繰り返し治療していた間は、死ぬ時に誰か好きな人に側にいて欲しい、と思っていたが、そんな状況であっても誰でも言いというわけでもなくむしろ、好きだった人からのプロポーズさえも受け入れることができなかった。
その後も、しばらくは自分が動けなくなっても支えてくれる人であることが前提で恋愛を求めていたが、やはり、自分が愛し、支えたい人でなきゃ!って思うようになってきた今、とりあえずは自己実現が先決?と思っていたりする。

若干支離滅裂だが、とにかく、数ヶ月や数年単位で自分の今の生活が保てなくなるのであれば、当然生き方、考え方を考え直さなければならないようにも思う。

でも、そんなこと誰が教えてくれるわけでもないか。
後で後悔したくもないが、いま、思うこと、できることをやるしかないのかな。


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