さゆりのひとり言-多発性骨髄腫と共に-

多発性骨髄腫歴20年/'08年4月臍帯血移植/「病気は個性」時にコケながらも前向きに/はまっこ代表/看護師/NPO所属

雨のち晴れ

2005年06月04日 11時59分35秒 | エッセイ
大雨が降ると思い出す。
あの日の出来事。

川の中洲でキャンパーたちが取り残されたことがニュースになった日のこと。
東京のはずれ、狛江でも同じように雨が降っていた。

「ちょっと買い物に行ってくる」
それだけ言って、夫は傘を片手に外に出て行った。
少しするとガチャンといって自転車で出かけたことが分かった。

「全くもう、せっかちなんだから」
夫の「ちょっと買い物」は決まって二箱の煙草だった。
歩いても5分足らずなのに、いつも自転車にまたがる。
「雨の日ぐらい歩けばいいのに」
と、いつも思うが、夫は少しせっかちなところがあるのだ。
言ったところで、「じゃあ、歩いていこうかな」
なんて言う素直なところはないので、あえて何も言わずに見送る。
夫もあえて言わずに出て行った。

結婚して2年が経っていた。
すぐにでも子供がほしかったのだが、なかなか子宝に恵まれなかった。
ようやく妊娠していることが分かった時、
夫は女の子だと決め付けて、まだ妊娠3ヶ月だというのに名前をつけた。
「恵美」
「メグ」って呼びたかったみたいだ。
男の子だったらどうするのよ、まったく。

「こんな雨の中、自転車に乗って煙草買いに行くなんて、メグちゃんのパパはおかしいでちゅね~」
どこにいるのかも分からないまだぺちゃんこなお腹をどこともなくさすりながら、
私はメグに話しかけていた。

狛江にあるこのアパートに二人で住み始めたのは、結婚して間もなくのことだった。
独身時代に夫は、ミスチルの「雨のち晴れ」が自分のテーマソングだといってカラオケでよく歌っていた。
―1DK狛江のアパートには二羽のインコを飼う・・・
当時夫が住んでいた狛江のアパートは1Kと狭く、もちろんインコなんてかってはいなかったのだが。
それでも私も狛江が好きになり、狛江に二人の新居を構えた。

雨足が少し強まったように感じた。
風も強く、時折、風の音とともにガラス窓に雨が打ちつけていた。
一瞬不安がよぎった。
しかしすぐに「こんなに降っている時にわざわざ出かけなくてもいいのに」
なんてぶつぶついいながら、タオルを玄関口に用意した。

同じ頃、アパートを出た夫は片手で傘をさし、自転車に乗って狭い路地を走っていた。
この辺りは古い民家が多く残されており、車も通れない狭い路地も多い。
夫は車が通れる一方通行にY字路で合流する、歩行者のみの細い路地を走っていた。

Y字路に合流して間もなく、雨の音にかき消されるように夫は、その息の根を絶やされた。
後方から来た2トントラックと接触したのだった。
衝突した衝撃で転倒した夫は、向ってくるコンクリートの壁に頭を打ち付けた。
おそらく一瞬の出来事で、ほぼ即死状態だった。

痛かっただろうか。
苦しかっただろうか。
悔しかっただろうか。

夫が持っていた財布の中にあった免許証をもとに警察から電話が入ったのはしばらくたってのことだった。
夫の帰りが遅いので心配になっていたところだった。
電話を取ってからのことは、いまだに思い出せない。

恵美は今年、小学校に入学した。





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