今日はお友達の話。
私が、2度目の自家移植のために入院していたクリーンルームで出会った、女性。
グロッキーだった私は、ほとんど寝ている生活をしていた時、彼女がクリーンに入ってきた。
デイルームに響き渡る、彼女がおそらく自宅のお母さんに電話している声。
怒っていた。それが印象的だった。
なんだか、元気な人が入ってきた、と思った。
そんな彼女が、フラフラになりながらトイレに行く私に声をかけてくれた。
ただ、大丈夫?とだけ。
それが、とにかく嬉しかったのを覚えている。
少なからず今どきの若い子で、大丈夫か?と思った私を反省した。
以来、いつの間にか仲良しになった。
ある時は、夜な夜なしゃべり、ナースへのいたずらをしたりしていた。
仲の良かった3人。一人は、3歳の子供を残して命を落としていった。
3人とも退院したら、ディズニーシーに行こうと企画していた。
私は以来、TDLもTDSにも行けずにいる。まあ、そういう機会もないのだが。。。
その後、私は過酷な治療生活を余儀なくされた。
出会った時こそ、私は、自家移植だったので、同種移植をしている彼女たちに比べたら、
大した治療ではなかったが、寛解して社会復帰をしていく彼女を横目に、
私は良くなっては悪くなり、何度も入退院を繰り返していた。
でも、彼女Mちゃんは、私にとっては希望だった。
彼女に彼氏が出来たら、自分の事のように嬉しかったし、
病気の事も隠して仕事に励む姿を目にしていると、
自分も頑張らなくては、と思ったものだった。
彼女はMDSだった。そして、同種移植をしていたのだった。
おそらく、移植後5年も経過し、完治とみなされていた。
昨年から都内で一人暮らしを始め、職場も近くなり、また、会う機会も増えそうな予感がしていたころ、
送られてきたメールの内容は、信じがたいものだった。
おそらく再発しているだろう、という事だった。
話を聞くと、もう、外来受診も卒業していたのだが、体調不良で受診した。
結果は、彼女が移植する直前のデータよりも悪かったという。
即マルク、即入院、そんなことを突然言われた。
それを受け入れられるわけもなく、仕事があるからと逃げて帰ってしまった。
でも、到底普通の仕事が出来るデータではない。
さぞやショックだろうと、どう声をかけたらいいかと思ったが、
私を頼ってきてくれたのだから、と、電話で話してみたいと思った。
私の予想に反して、彼女は、怒りに満ちていた。
「なぜ?!今年は、アメリカにも行きたかった。来月は富士山に登る予定だった。
なぜ、私のやりたいことを阻むのか。
もう、痛い思いはしたくない。病院に入りたくない。マルクだって輸血だってしたくない。
もう、充分つらい経験はしてきた。
そして、私に聞いた。
私が、過酷な治療をしていく中での希望はなんだったのか、と。
・・・。
私には、選択できない状況が多かった。
確かに、悪くなるのが前提の自家移植や様々な治療をしているときは、
なんでこんなに残酷なことを、と思っていた。
もしかしたら、治療そのものを選択する自由もあったのかもしれない。
でも、言われるがまま、お任せ治療だった。
そして、臍帯血移植の時は、身体がつらくて辛くて、
早く入院して、休みたいと思った。
治療しながら仕事をしていることのほうがよっぽど辛くて、よっぽどきつかった。
だから、入院せざるを得ないということに、安心感があった。
そして、死にそうなときは、あれこれ考える余裕があるわけもなく、
ただただ、日々が楽であることが目標であり希望だった。
たしかに、希望、みたいなものはなかったのかもしれない。
私なんかより、生きなきゃいけない人の死に直面するたびに、
なぜ私が?と思いはした。
むしろ、なぜ生かされるのか、というのを考えていたように思う。
何が何でも生きる!なんていう意思がなかった。
ただ、ただ、死ぬ気はしなかった。
だから、なぜ、生かされるのかを考えざるを得なかったのだ。
沢山たくさん書きたいことがある。
でも、明日はランチ会だし。
とにかく、今日は寝なきゃ。
ちなみに、来週マルクの予定の彼女。
マルクの結果が出るまでは、家族にも話せずにいる。
職場にも話せずにいる。
そのまま、入院になってもおかしくないのに。
でも、そんな気持ちも分からなくもない。
私にできることは、そばにいてあげること。
かな、と思い、マルクの時に付き添う事にした。
午後、半日の休みを頂くことにした。
今の彼女にとって、頼れるのが私であるならば、それは当然の事かと思う。
何もできないけど。
でも、そばにいることが、彼女にとっては嬉しいことではないかと思う。
それにしても、怖い。
最近ちょっと油断していた。
もう大丈夫な気がしていた。
まだ、2歳児なのに。
何かの間違いであれば。。。
今は、そう願うのみ。
ダラダラとすみません。
支離滅裂かも。
いろいろ考えさせられる。
そばにいる‥
それだけで、ものすごいパワーだそうです。
病は誰のせいでもない。
でも、自分を責める。どんどん追いつめてしまう。
病いそのものでなく、それを取り巻く心をネガティブにさせてしまう。
そんな時にそばにいてくれる人がいるならば。
どんなに力強いことか。
そんな私もいろんなことから逃げてるかもしれないけど。
ぜひ、その日はお時間取れますように。
最後の一年間は易疲労状態で日常生活を送るのがやっとで、半年前には夜勤明けでは体に力が入らなくて立てなくなりはってトイレに行くようになり、2ヶ月前には涙が滝のように流れるほどの痛みで休職。
なぜ?わがまま?甘え?早く職場に戻らないと…とずっと思いつめていたので
『なんだ、病気だったんだ。甘えじゃなかったんだ』と死ぬ事の恐怖よりもいろんな事から解放される事の喜びの方が強く、これまでの人生で一番幸せを感じてました。
治療についても…後で考えると、私もDrにいわれるがままだったと思いました。
自家移植後自宅療養して少しずつ回復してくると、これまで考えてなかった“生きていく”事に悩みました。生きていくのが辛いと…病気になって初めて誰にも言えずに泣きました。
そんな事、家族にも、そして忙しくしている友達にも言えずに独りで泣いていました。
でもさゆりさんのそのお友達はさゆりさんにSOSのサインを出してくれたのですね!側に寄り添ってあげて下さい。
私も生きる意味を考えて悩みました。
生かされているという事は必ず何か意味があるのだという結論に達しました。
以前“余命”ではなく“与命”なのだという話を聞いて心の扉が開いたような気がしました。
この与えられた命で今の自分にしかできない事をしていこうと目標を持つ事ができました。
さゆりさんも今こそ生かされている意味なのではないでしょうか?
なんだか上手く伝えられなくて…すみません…
これ以上、試練を与えないでください。
Mちゃんさんの気持ちを一番わかってあげられるのはさゆりさんなんだと思います。
マルクの付き添い。
どんなに心強いでしょうね。
よい結果を心からお祈りしています。
生きている意味。。。
生きることそのものが、「しなくちゃならないこと」だからなのかな、なんて思っています。
たとえ、仕事が終わらなくても、少し残業すれば済むこと。
あなたを頼ってきているなら、仕事しているどころではないわね、と。
とても有難かったです。
pecoraさんもありがとうございます
そうなんですよね。
病気だと思っていないときこそ、自分の怠惰なせいだと思い、責めました。
そんな日の事を思い出して、泣けてきました。
病気と分かってからでさえも、データは悪くないのだから、これは自分の問題だ!と思ってしまったり。。。
「与命」
そうなんですよね。
私の人生、臍帯血移植をしてからは特にそのように感じます。
何かもっと大きなことをしなければならないように思っていましたが、
これで良いんだと思う事が少し出来そうです。
このようなことこそ、なすべきことの大事なことなのかもしれません。
ただただ、そばにいてあげたいと思います。
そして、生きる事そのものに、大きな意味がある。
はい。お互いに、それを確認しながらの毎日ですね。
また、報告します。