さゆりのひとり言-多発性骨髄腫と共に-

多発性骨髄腫歴20年/'08年4月臍帯血移植/「病気は個性」時にコケながらも前向きに/はまっこ代表/看護師/NPO所属

とりとめのない話

2008年11月04日 16時56分32秒 | MM闘病記
トマトを異様に好むようになりました
エビが美味しいと思えなくなりました
コーヒーが飲めなくなりました
大好物だったチョコレート、興味がなくなりました
肉類が苦手になりました
魚の食べ方が上手くなりました(?!)
貝類、麺類、納豆は相変わらず好きです(笑)

髪が薄くなり、髪質が変わりました
アトピーが出なくなりました
お腹を壊しやすくなりました

昨年の私とは、少しずつ変わっているんです。
気質や性格的なものは、一概には言えないと思いますが、それも含めて、
私の中で何かが少しずつ変わっているんです。

同種移植。

私の身体の中で起こった変化に対して、
感覚としての捉え方、受容の仕方が薄いのではないか、
とふと思う事があります。
戴く事のできた大切な命。
その命の重さを、例えば、骨髄バンクや兄弟姉妹からの骨髄移植と比べたら、
臍帯血移植はちょっと違うように感じるんです。
感覚的にね。

なんでだろうって思うんです。
強いて言えば、採取するのにあたって、提供者が痛い思いをするかしないかの違いしかないのに。
しかし、ドナーさんと一度きりとはいえ、手紙のやり取りが出来る、
ということも大きいかもしれません。
ドナーさんと繋がった感覚というのを、強く得られるのではないかと思うからです。

でも、それだけか。
もし、今回の私の移植が骨髄バンクからだったとしても、
同じなのではないかと思うんです。
今感じている希薄さ。
移植日が4月の何日だったか…忘れてしまいました。

根本的に後ろ向きなんだと思うんです。

生かされている、と強く認識する反面、
不安なんです。
怖いんです。

生きる事に後ろ向きな気がする。
こんな事を口にするものではないと思います。
バチあたりというか、
とにかく、良い事ではない。
でも、そう感じてしまう自分が存在するんです。

愛に飢えているわけでもありません。
私には応えきれないほどの愛に包まれています。

もしかすると、その、愛に応えきれない事こそが、背負いきれないプレッシャーとなって、不安となっているのかもしれません。
これほどの愛に、私はどう応えられるのか、自信がないんです。

そして、おかしな話しと思われると思いますが、
地球の、本当に近い将来が不安なんです。
怖いんです。
手を伸ばしたら届きそうな10年後の日本は美しさ、明るさ、楽しみに満ちているのでしょうか。
世界は、地球は、より平和で美しく、正しい方向に歩んでいるのでしょうか。

この先を思い描くためのフィールドが暗く、重たいんです。
私はそんな混沌とした世の中で、どう生きるのか、定める事が出来ないんです。

こんな私は、おかしいのでしょうか。
そんな毎日でもいられないので、顔を下に向け、更にはしゃがみこんで、
足元に咲いている、小さな花に目を移すのです。
するとその花はとってもいい香りがすることに気がついたり、
増やしてみようと努力したり、
試しに食べてみたり。

もしかしたら、考える時間が無駄にある、というだけの事かもしれません。

でも、やっぱり違う。

移植して、人生が変わったかのように前向きに生きる友人が、私の周りには多すぎるのかな。
患者さん本人だけでなく患者さんの家族もね。

劣等感なんです。
一生懸命になれない事への。

あ~、何かに夢中になりたい。
熱中したいなぁ。

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1 コメント

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時の流れ (セブン・シスターズ)
2008-11-07 09:30:54
『行く河の流れは絶えずしてしかももとの水に
 あらず・・・・・』方丈記

一細胞から始まった命ー「さゆり」ーが、休みなく
変わり行くは、万物の定めと思し召せ。
豈、爪・皮膚・腸管・血球細胞のみならず、眼球・
ニューロンさえも、日々変わり行くさまは、骨細胞
が破壊され創り直さるるに同じなり。

蛋白質が入れ替わり、アミノ酸が置き換わり、
幾多の原子が水の流れのように、紡ぎ変わり、
一年前の「さゆり」にありし物質は、悉く新たな
原子に入れ替わるが、生きるものの理なり。

再生され、より素晴らしきナースとして誕生される
を、切に祈る。

素晴らしき夢を抱けるあなたではありませんか!
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