さゆりのひとり言-多発性骨髄腫と共に-

多発性骨髄腫歴20年/'08年4月臍帯血移植/「病気は個性」時にコケながらも前向きに/はまっこ代表/看護師/NPO所属

ライフボート学習交流会へ行く(神奈川)

2006年08月27日 01時39分14秒 | MM闘病記
今日は、ライフボート学習交流会に参加。

ちなみに、その前に岩盤ヨガへ。
今日のインストラクターはメディテーション重視。
いろんなタイプがあって面白い。

ヨガ帰りに、慌ただしく支度して阪東橋へ。
そういえば、何年か前に転職しようとして、この病院に来たことあるな~。

さて、今日のメンバーはなんだか年齢層が高い。
まあ、MM自体70代男性が好発する病気だから仕方ない。

今回の参加のテーマの一つに、
みんなは医療費の問題抱えていないのかなあ、
という一歩踏み込んだ経済事情を知りたかったことと、
仕事している方がいれば、どんな様子なのかを知りたいという事があった。

まず、経済事情について。
やっぱり、中高年者は生活に余裕がある。
以上。
毎月12万かかるサリドマイドだって、「仕方ない」と使用できる。
ん~高齢者の医療費3割負担、あたりまえよね~。。。

現在も仕事している方は私以外に2名。
定年を過ぎていたり、定年間近だったり。
職場環境や協力体制には恵まれているようだった。
自分自身の問題としては・・・
お二人ともこれまでかなり仕事をされていたようだが、
気持ちを切り替えて、定時で上がって家族と食事を一緒にとるようにしている、
とか。

その気持ちの切り替えって、どのようにしたの?
と聞いてみたら・・・

「家族のために生きなきゃいけないから」

・・・。

思わず、感情がこみ上げてきた。

私はひとり。
生きていなきゃいけない理由なんて、ない。

痛いところをつかれた、と思った。

一日でも、とにかく長く生きていたい理由、
そんなものはない。

そんな心の貧しい自分に直面し、自分自身が哀れだった。
そんなふうにしか思えない子を持つ両親や姉は、もっと哀れだと思った。
娘に対して無償の愛を与え続ける両親なのに。
たぶん、私がいなくても困りはしない、と思うからだろうか。
私は相当ひねくれているのだろうか。

当たり前のようにもてるであろうと思っていた自分の家族。
自分の子供がいる家庭。
結婚するまでは仕事して、子供が産まれて家族が出来たら、
子育てが生きがい、家族が生きがい、この人たちのために自分がいなくなったら困るから・・・というのが、所詮私の人生、と思っていた。

だから、余計に「家族のために」一分でも一秒でも長く生きていたい、という思いに至らずにいる自分があまりにも価値のない人生に思えて仕方なかった。
70過ぎても積極的に治療して長生きしたい?
あげられるものであれば、私の時間をあげたい。

ま、こんな超ネガティブ思考にどっぶりつかる日があっても、
それはそれで、いいのかもしれない。
きっと、明日はまた別のこと考えているはずだから。












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2 コメント

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いまの思い。 (あつこ。)
2006-08-27 13:52:24
共感するところ、たくさん。



いつもこういうことを考えているということではなく、こういう思いも抱えているって感じなのですけどね。

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あつこさんへ (さゆり)
2006-08-27 21:40:46
そうそう、こういう思いも抱えてる。

いつもがいつも、ではないんですけどね。

今日はまた別の気持ち。

だから話をするときにはいつも付け加える。

「今の私は、こう思う」と。
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