さゆりのひとり言-多発性骨髄腫と共に-

多発性骨髄腫歴20年/'08年4月臍帯血移植/「病気は個性」時にコケながらも前向きに/はまっこ代表/看護師/NPO所属

頑張りすぎてしまう心理

2006年07月13日 23時07分37秒 | 日記
タイトルに惹かれ、平積みされたこの本を手にしたのは数週間前のことだ。

自分の心が少しは楽になるのかもしれない、という期待感で読み始めた。
しかし、書かれていることは、私のことではない。
そうか、こういう人と出会ったときに、どのように理解すれば良いか、接すれば良いかを学べば良いか、と思いながら読み進めた。

タイプA的性格の人。
私は新幹線の中で走るような性格ではない。
一人でのんびりと過ごすのも好きだし。

しかし、読み進めるうちに、やっぱり私はタイプA的性格かもしれない、と思うところもあった。
4章の「100%ではなく、0.1%から少しずつ変えてみる」
を読み始めた頃であった。
タイプA的性格の人は・・・
*自分を誉めてくれる人がその場を生きるために必要
*いつも点の人生。点が線にならない。線が面にならない。やってもやっても美しく実らない。
*無視されて生きてきているから、無視されて傷つくことの恐怖を体験している。自信がないから、無視されることが怖い。

そんなことが書かれてあり、
タイプA的性格の人は自分を誉めてくれる人を探すよりも自分が信じられる人を探すことである。
とあった。

この辺りを読んでいて、
私自身にとても響いてくるのを感じた。

そう、私は、自分の信じられる人をずっと求めていた。
なのに、いつの間にか、私の価値観での社会的視点で尊敬できる人か、
周りからどのように評価されるであろう人か、
そして、損得勘定で相手を見ていたのかもしれない。

本当におろかなことだ、と思った。

そして、冷静に思い起こすに、私はずいぶんと傷ついていたのだと思う。
それが、実際にどうであれ、私自身が傷ついていたのに、
それを隠したり、感じないようにしていたのかもしれない。
だから、表面的に満たされようとしていたのかもしれない。
自分自身の未成熟でもろいコアな部分を覆い隠すために。
自分自身も、見つめなくて済むように、外壁ばかりを固めていたのかもしれない。

なんだか、こんな思いもまとまらずに、あ~でもないこ~でもないとぐるぐる思考が回っている。
が、とにかく、こんなことを考えた時に思ったのは
幼少期に、自分の正義感の強さ、規律を重んじる性格のためにクラスメイトの反感を買い、全くもって理不尽な理由でいじめられたという悲しい経験と、
無償の愛を注いでくれているのは分かっているのに、それが、私にとっては私自身を理解してくれていない、という孤独感になってしまった両親との関係であった。
前者はともかく、後者によって私は、今現在自分の家族が持てていない、という思いに至っている。
つまり、私が、信頼し相談できる人が誰もいない。
病気を乗り越えるために、支えてもらう人。
自分の思いを整理するために必要な相手。

とにかく、私が信頼できる人を探そう、と思った。
そして、それは、もしかしたらもうすぐ近くにいるのかもしれない、と。



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