私の場合、病気を診断された病院で、現在に至るまで治療を続けて診てもらっている。
自家移植に始まり、最終的には臍帯血移植が必要になった私にとって、移植に関しては日本屈指の施設で治療出来ているというのは、本当に幸運なことだと思っている。
主治医は2人目だが、とっても信頼しているし、この先もずっと診てほしいと思う先生と巡り合えたという事は、それもまた奇跡だと思っている。
でも、ここまでの信頼感を得るまでには様々な葛藤があったのも事実である。
まず、骨髄腫の専門ではなく、片手間に診ているからだった。
血液科の医師といえども、それぞれ、さらに詳しく専門的に診ている疾患がある。
興味があり専門的に診ている疾患であれば、やはり、より最新で、より多くの治療の中から最善の治療を選択することができるだろう。
より多くの治療経験があるという面でも、骨髄腫を専門にしている先生に比べたら・・・
と思ったからだ。
骨髄腫関係のセミナーや講演会、個別相談に乗ってもらったりすると、
今の治療でいいのか?と不安になることもしばしばあった。
それから、一番最初に主治医になってくれた先生に関しては、
とても頭の良い先生だったし、説明も丁寧で分かりやすくしてくれたが、
いざという時に自分の身を守る態度に転じ、ものすごくショックを受けたことがあった。
お互い人間なので、性格的な合う合わないがあるのも必然なのだと思う。
一言でいえば、自分や家族が納得できて治療を受けられることが何よりもポイントになるかと思います。
私は、講演会や個別相談で得られて疑問に思ったことはその都度主治医に話しました。
もちろん、そんなことを言ってもいいのか?と思うとすぐには話を切り出せず、
受診するたびに悶々として帰ったものでした。
でも、話を何とか切り出すと、
それに対しての主治医としての考え方を説明してくれました。
そして、最終的に選択をするのは自分です。
希望するなら出来るという道を常に作ってくれていました。
ただ、もう少し早い時期に同種移植に踏み切りたかったというのは、言えずじまいでした。
話は少し変わりますが、
とかく医者というのは、狭い視野で物事を見るものです。
なぜならば、病気のことにしか目がいかず、その中でも専門分野にしか目がいかないからです。
検査データだけにとらわれる。
「検査データは良いんだから、悪くはないはず」
なんていうことはよくあるのではないでしょうか。
全人的にみられる医者はほとんどいない。
今の日本の医療制度の中では、そんなことを期待できないのは前提だから仕方がない。
でも、少しは視点の高い医者がいるのも事実で、
そこは、医者の技術の問題ではなく、あくまでも人間性の問題になる。
視点が高いとは、データだけでなく、病気や治療にまつわる様々な身体的・精神的症状までみられるということ。
何をもって、それぞれの患者さんが生きている価値を見いだせるかを考えて治療できるという事。
つまり、自分で歩けるというのを目標にするのか、家で過ごせるというのを目標にするのか、仕事を続けられるのが前提なのか、それによって選択する治療が変わってくることがあるというのだ。
そこまでを理解したうえで、もしくは話し合ったうえで、自分の身体を任せられる医者を主治医に持つというのが理想なのではないかと思う。
同じ臨床医の中にも、専門家と臨床家がいる。
疾患だけにこだわるのが専門家で、全人的に診るのが臨床家、
私はそう思う。
そう思うと、専門家とのほうが相性が良い人もいれば臨床家とのほうが相性がいい人もいる。
自分は主治医となる医者とどのような関係になりたいかを知り、
主治医となる医師がどちらのタイプの医者なのかを見極める。
お互いにとって幸せな患者-主治医の関係ができるといいな、と思います。
自家移植に始まり、最終的には臍帯血移植が必要になった私にとって、移植に関しては日本屈指の施設で治療出来ているというのは、本当に幸運なことだと思っている。
主治医は2人目だが、とっても信頼しているし、この先もずっと診てほしいと思う先生と巡り合えたという事は、それもまた奇跡だと思っている。
でも、ここまでの信頼感を得るまでには様々な葛藤があったのも事実である。
まず、骨髄腫の専門ではなく、片手間に診ているからだった。
血液科の医師といえども、それぞれ、さらに詳しく専門的に診ている疾患がある。
興味があり専門的に診ている疾患であれば、やはり、より最新で、より多くの治療の中から最善の治療を選択することができるだろう。
より多くの治療経験があるという面でも、骨髄腫を専門にしている先生に比べたら・・・
と思ったからだ。
骨髄腫関係のセミナーや講演会、個別相談に乗ってもらったりすると、
今の治療でいいのか?と不安になることもしばしばあった。
それから、一番最初に主治医になってくれた先生に関しては、
とても頭の良い先生だったし、説明も丁寧で分かりやすくしてくれたが、
いざという時に自分の身を守る態度に転じ、ものすごくショックを受けたことがあった。
お互い人間なので、性格的な合う合わないがあるのも必然なのだと思う。
一言でいえば、自分や家族が納得できて治療を受けられることが何よりもポイントになるかと思います。
私は、講演会や個別相談で得られて疑問に思ったことはその都度主治医に話しました。
もちろん、そんなことを言ってもいいのか?と思うとすぐには話を切り出せず、
受診するたびに悶々として帰ったものでした。
でも、話を何とか切り出すと、
それに対しての主治医としての考え方を説明してくれました。
そして、最終的に選択をするのは自分です。
希望するなら出来るという道を常に作ってくれていました。
ただ、もう少し早い時期に同種移植に踏み切りたかったというのは、言えずじまいでした。
話は少し変わりますが、
とかく医者というのは、狭い視野で物事を見るものです。
なぜならば、病気のことにしか目がいかず、その中でも専門分野にしか目がいかないからです。
検査データだけにとらわれる。
「検査データは良いんだから、悪くはないはず」
なんていうことはよくあるのではないでしょうか。
全人的にみられる医者はほとんどいない。
今の日本の医療制度の中では、そんなことを期待できないのは前提だから仕方がない。
でも、少しは視点の高い医者がいるのも事実で、
そこは、医者の技術の問題ではなく、あくまでも人間性の問題になる。
視点が高いとは、データだけでなく、病気や治療にまつわる様々な身体的・精神的症状までみられるということ。
何をもって、それぞれの患者さんが生きている価値を見いだせるかを考えて治療できるという事。
つまり、自分で歩けるというのを目標にするのか、家で過ごせるというのを目標にするのか、仕事を続けられるのが前提なのか、それによって選択する治療が変わってくることがあるというのだ。
そこまでを理解したうえで、もしくは話し合ったうえで、自分の身体を任せられる医者を主治医に持つというのが理想なのではないかと思う。
同じ臨床医の中にも、専門家と臨床家がいる。
疾患だけにこだわるのが専門家で、全人的に診るのが臨床家、
私はそう思う。
そう思うと、専門家とのほうが相性が良い人もいれば臨床家とのほうが相性がいい人もいる。
自分は主治医となる医者とどのような関係になりたいかを知り、
主治医となる医師がどちらのタイプの医者なのかを見極める。
お互いにとって幸せな患者-主治医の関係ができるといいな、と思います。
明日は節分で、暦の 上では、もう春と、言うのに、まだまだ、寒いですね…
元気そうで、何よりです。私も、自分と合う主治医と、巡り会えると、言うのは、すごく大切だと、思います。自分の命を預けると同じようなものだから…
なかなか、骨髄腫の専門医って言うのはなかなか、いらっしゃいませんね…
この病気事態が、かなり稀な病気だからですね。私も、骨髄腫患者の会に相談して、今の、先生にたどり着けたんですよ。本当に…感謝してますよ今も自家移植して、完全寛解で、いられるのも、先生のおかげと、思ってますよ…
治療後一年すぎましたが、手の関節痛、膝関節痛倦怠感は、ありますが、自宅で、 子供のそばに、入られることは、何ものにも変えられません!
今日金森先生に「講演の成功をお祈りします。
私は行かれませんが、他の方が楽しみにしています。」とお伝えしました。
また、感想をお聞かせくださいね。