さゆりのひとり言-多発性骨髄腫と共に-

多発性骨髄腫歴20年/'08年4月臍帯血移植/「病気は個性」時にコケながらも前向きに/はまっこ代表/看護師/NPO所属

立ち読み

2005年06月05日 20時49分48秒 | 日記
今日、本屋で「がんサポート」という雑誌を立ち読みした。
MMについてのインタビュー記事が掲載されていたのだ。
インターネットでの患者会を日本で初めて作ったということで話題になった方だ。
患者であった旦那さんは5年ほど前に他界されていた。

記事の中で印象に残ったこと。
旦那さんの病気が判った時、はじめは無症状無治療で経過をみれるものだったので告知されていなかった。
もともと、その状態からガン化するのは30%ほどといわれているので、あえて告知されていなかった。
が、病状は進行し治療が必要になった。
そうなって初めて告知を受けたが、もっと前に知りたかった、という。
なぜならば、その間、仕事中心で会社の歯車となって働きづめだったからだ。
その後、セカンドオピニオンを受けた医師から、MMは寝ている子を起さないようにしなければならない、と言われた。
私の解釈では、過労やストレスが発病の誘引になったと言うことである。

そんな内容を目にし、私も同じような経過をふんでいたことを思い出す。
もし、10年前に、ちゃんと話されていて、無理のない生活を送るようにしていたら・・・。

しかし、不思議と後悔の念はあまりなかった。
そんな気持ちがまた、自分の存在自体に問いかける。

もっと生きたい理由が浮かばない。
かといって死ぬ理由も見当たらない。
ただ、時の流れるままに、成り行きで今があるだけ。
そんな自分が不安になる。

生きていたいとは思うのに、なぜかと問われると答えが出ない。
あの時こうしていれば、こうしたかったのに、という強い思いもない。

私はいつからこうなってしまったんだろう。

いま、心身ともにストレスになっている仕事を辞めたほうがいいと思っている。
でも、辞めたって何をするわけでもないからストレスが減るわけではない。
身体に悪いこととは分かっていても、辞めることが根本的な解決にはならない。
一生懸命自分のことを考える時間を作っているのに、いつまでたっても、どんだけ考えても、何にも見出せない。

ただ、いつ死んでもいいけど、
生きているうちは出来るだけ元気でいたい、と思うだけ。
こんな生き方、納得できないけど。



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