さゆりのひとり言-多発性骨髄腫と共に-

多発性骨髄腫歴20年/'08年4月臍帯血移植/「病気は個性」時にコケながらも前向きに/はまっこ代表/看護師/NPO所属

日常の一部

2007年03月31日 11時36分28秒 | MM闘病記
先日、知人から電話がかかってきて、
聞かれるがままにいろいろお話していて。。。

治療は中断していて、
仕事も復帰して・・・

そんな話をしていたら、

「ねえ今、何が一番したい?」

って聞かれた。

ん~としばらく考えて、
「仕事の後の美味しいビールを飲みたい」
「普通に仕事終わってから飲んで帰れる生活をしたい、
そんな体力が欲しい、かな」

って答えてみた。

「意外と普通なんだね。
溜まっていたものとか、
これ(治療)が終わったらやりたいと思っていた事とか、
なんかないの??」

「ん~
(治療も含めて)日常生活の一部だからねえ・・・」

びっくりした。(自分の発した言葉に)
いつの間にか、私の中で、生活の一部になっていたのか。

もともと、このブログのサブタイトルにもしているように、
病気を個性として捉えようと思っていたけど、
なんていうか、思いと行動ってそう簡単に一致しない事も多いもので。
そんな中で、あ、結構受容したんだ~って確認できた。

そう、受容するってなんていうかとても素敵な出来事で、
とっても楽になれるものなんだと思う。
もしかしたら、あきらめの先にも楽な生活があるかもしれないけど、
明らかに違うのは、受容の先には喜びとか、楽しさとか、
感謝の気持ちが伴うという事かな。

きっと病気に限らず、どんな境遇に置かれたとしても、
同じことなんだろうと思う。

いじめ、
死別、
リストラ…
小さなことも、大きなことも。

受容しかけのときの、
病気に感謝する気持ちが芽生えた時、
実は、そんな自分をいけない事だと思った時があった。
たくさんの人に心配かけ、迷惑もかけ、
親姉妹には悲しい思いやつらい思いばかりかけてきたのに、
当の本人が、こんなに気楽な気持ちでいる事は、
親不孝な事だし、
辛いだろうと思って助けてくれている人たちに対して、
なんだか、とっても失礼な気がしてしまったのだ。

でも、実はこの事も自分で初めっから宣言していた事で
「病気にはなったけど、病人にはならない!」
に通じる。
だから、
「本当にそんな病気だとは思えないよね!」
と言われると、
しめしめ、やったぞ!!
って思う自分がいる。

私も、結構たくましく生きてるな~って思う。

周りから見て、どんなに恵まれた環境にある人だって、
妻が夫を殺してしまう、
姉妹を殺してしまう、
娘や孫を殺してしまう時代。

私は、本当に幸せだな~って思うし、
私の周りの人も幸せだともっと嬉しいな~って思う。



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