正月休みには、毎年、時間が無くて読めない本や、聞きたいCDをまとめてやっつけようと計画する。
それで年末に写真のようにAMAZONへ一括発注をする。
今年は、元旦の16時間睡眠のせいで、本は浅田次郎の「地下鉄(メトロ)に乗って」と、堺屋太一の「鬼と人と」(上、下)しか読めなかった。
両方とも、ISOちゃんのBLOGで紹介されていた本だ。
どちらも、とても面白かった。
今日は、「地下鉄に乗って」と、それから僕に起こったことについて書こう。
「地下鉄に乗って」は、地下鉄の入り口が過去に通じているというファンタジックな物語。勿論、浅田次郎が著者だからBACK TO THE FUTUREのようなSF仕立てではない。
主人公は、父親の生き方に対し大きな不審感を持ち、その関係は完全に断絶している。
その主人公が、恋人(実はこの世に生まれ出でることのなかった異母妹)に誘われるように、メトロに乗って過去に遡り、父の若い頃の生き様を知り、真実の父の姿を知る。
自分の知っている父は、大きな父の一側面でしかない。
ガキではないので、それで断絶解消、パチパチとはいかないけれど、心の中で父と自分の関係を整理し、新しく前向きに生きようとする主人公の姿に共感を覚える。
そこで、思い出したのが大好きな小説家、佐藤正午の「彼女について知ることのすべて」という本だ。
佐藤正午の著作の中でも、僕はこれが最高傑作だと思っている。
この本は、メトロほどポジテイヴではない。
「彼女~」は、主人公が好きな女性のために殺人を決意して車を運転しているシーンから始まる。
”その夜わたしは人を殺しに車を走らせていた。1984年、ロサンゼルスでオリンピックが開催された夏の話だ”という秀逸なフレーズでスタートするこの物語は、そこから時間を遡り、彼女との出会い、彼女との間で起きた出来事、そして何故殺人を決意するまでするに到ったかの経緯が語られていく。
臆病な主人公は、結局、殺人を犯せない。目的の男を殺すのは彼女だ。
刑期を終え、出所した彼女に会う。
殺人を犯してまで守ろうとした彼女なのに、実は、自分が知っているのは彼女のごく一側面でしかなかったことに気付く。
自分が”彼女について知ることのすべて”はたったこれだけだったんだという悲嘆!
メトロの主人公も父を憎む。しかし彼の知る父もその一面でしかない。
僕にも友達が居る。何でも分かったように思っている。
でも、実は何も分かっていない。
僕の知るA君はA君の一部でしかない。
同時にA君の知る僕は、僕の一部でしかない。
でも、お互いに知ったような気になって付き合っている。
他人のことをすべて知りうる訳はない。
そんなことは当たり前だ。
しかし、長い間の親しい知り合いなのに、あまりにその人のことを知っていなかったことに気付いた瞬間は凍りつくような寂しさが押し寄せる。
「メトロに乗って」を読んで、「彼女について知ることのすべて」を思い出した矢先に、僕には現実にそんなことが起こった。
つい3日前のことだ・・・。
それで年末に写真のようにAMAZONへ一括発注をする。
今年は、元旦の16時間睡眠のせいで、本は浅田次郎の「地下鉄(メトロ)に乗って」と、堺屋太一の「鬼と人と」(上、下)しか読めなかった。
両方とも、ISOちゃんのBLOGで紹介されていた本だ。
どちらも、とても面白かった。
今日は、「地下鉄に乗って」と、それから僕に起こったことについて書こう。
「地下鉄に乗って」は、地下鉄の入り口が過去に通じているというファンタジックな物語。勿論、浅田次郎が著者だからBACK TO THE FUTUREのようなSF仕立てではない。
主人公は、父親の生き方に対し大きな不審感を持ち、その関係は完全に断絶している。
その主人公が、恋人(実はこの世に生まれ出でることのなかった異母妹)に誘われるように、メトロに乗って過去に遡り、父の若い頃の生き様を知り、真実の父の姿を知る。
自分の知っている父は、大きな父の一側面でしかない。
ガキではないので、それで断絶解消、パチパチとはいかないけれど、心の中で父と自分の関係を整理し、新しく前向きに生きようとする主人公の姿に共感を覚える。
そこで、思い出したのが大好きな小説家、佐藤正午の「彼女について知ることのすべて」という本だ。
佐藤正午の著作の中でも、僕はこれが最高傑作だと思っている。
この本は、メトロほどポジテイヴではない。
「彼女~」は、主人公が好きな女性のために殺人を決意して車を運転しているシーンから始まる。
”その夜わたしは人を殺しに車を走らせていた。1984年、ロサンゼルスでオリンピックが開催された夏の話だ”という秀逸なフレーズでスタートするこの物語は、そこから時間を遡り、彼女との出会い、彼女との間で起きた出来事、そして何故殺人を決意するまでするに到ったかの経緯が語られていく。
臆病な主人公は、結局、殺人を犯せない。目的の男を殺すのは彼女だ。
刑期を終え、出所した彼女に会う。
殺人を犯してまで守ろうとした彼女なのに、実は、自分が知っているのは彼女のごく一側面でしかなかったことに気付く。
自分が”彼女について知ることのすべて”はたったこれだけだったんだという悲嘆!
メトロの主人公も父を憎む。しかし彼の知る父もその一面でしかない。
僕にも友達が居る。何でも分かったように思っている。
でも、実は何も分かっていない。
僕の知るA君はA君の一部でしかない。
同時にA君の知る僕は、僕の一部でしかない。
でも、お互いに知ったような気になって付き合っている。
他人のことをすべて知りうる訳はない。
そんなことは当たり前だ。
しかし、長い間の親しい知り合いなのに、あまりにその人のことを知っていなかったことに気付いた瞬間は凍りつくような寂しさが押し寄せる。
「メトロに乗って」を読んで、「彼女について知ることのすべて」を思い出した矢先に、僕には現実にそんなことが起こった。
つい3日前のことだ・・・。
「メトロに乗って」は、地下鉄という極めて日常的
かつ身近なものが、過去へ続いているというところが、まず気に入っちゃいました。
それからいろんな人間関係。
ツノ坊も読みました。
でも名古屋駅でKEVINさんとしばしば会うので、
「新幹線に乗って」
なんていう小説でも書けそうですね。
何を一番に思いますか?
逢いたいと思う、守りたいと思う。
その前にその人の事を知りたいときっと思うでしょうね。
そして自分の事も分かって欲しいと・・・・。
人間とは欲深い物です。
限度なく欲しい物が出てきたり、愛されたい、分かり合いたい、
そんな事を望む生き物です。
もちろん感情があるが故の悲劇なのだとは思うのですが、
私はその悲劇の中に身を置く事を嫌っていました。
でも、それも悲しい事ですよね。
誰かに自分の事を理解して欲しいと思うことってそんなに恥ずかしことではないような気が最近して来ました。
誰かの事を知りたい、誰かに知って貰いたいそう願うなら、話し合わなければいけないんだ、
相手を理解したいなら、自分も理解してもらわなければいけないんだ、そう今感じています。
まだ一部分しか見えていない。きっとそうですよね。
もっとたくさん話をしましょう。
前や後ろだけじゃ無く360°丸見えになるくらい。
そうしたらお互いに分かり合えるかな?
それとも共倒れしちゃうかな(笑)