村上龍の絵本「盾SHIELD」は、サッカー・プレイヤー中田ヒデとの交流から生まれたのだと、或るTV番組で、著者本人が語っていた。
中田は、こわもてのイメージがあるが、付き合ってみると、実は彼ほどナイーブで、優しく、心配りのある人は居ないそうだ。
しかし、ピッチの上に立てば、外人のボディアタックにも負けない屈強さを持ち、メンバーを先輩と言えども容赦なく叱咤し、監督とも激論(喧嘩?)し、無責任な憶測のコメントを書くマスコミには牙をむく。
核(コア)が純粋で、やわらかく、こわれやすいものを持っているヒデが何故、あんなに強くなれるのか…そんな素朴な疑問が「盾SHIELD」という概念を想起させるきっかけになったという。
ヒデは、やわらかな核をサッカー技術、鍛えた肉体、優れた言語力などでしっかりとプロテクトしている。だからこそ、周りに振り回されない強さが発揮できる。
ヒデと龍さんの親交は、長く深い。
ヒデのホーム・ページにも龍さんに関する記述が時々出てくる。
二人で旅に行った時のことを綴ったHPは、かなり面白かったという記憶がある。
そして、二人の親交から生まれた作品は、「盾」にとどまらない。
「文体とパスの精度」という対談集がある。
そして、お勧めは「悪魔のパス天使のゴール」。セリエAで活躍する日本人プレーヤーをモデルにしたサッカー小説で、設定からして主人公とヒデがダブる。
そもそも題名が素晴らしい。ミッドフィルダーが切り裂くように繰り出す悪魔のようなスルーパス、そしてFWが優しく運ぶ天使のゴール。
サッカー好きの人なら、この題名にしびれるのでは。
僕は、暫くの間、中田英寿ウオッチャーだった時期がある。
それについては、又の機会に書く。
問題は、「盾」だ。
僕の盾はどんどん弱くなっている。
前回のBLOGのコメント欄でUNKNOWNさんが書いていたように僕も盾を再強化しなくてはならない。
どうも最近、根気が無く、惰性で生きているような気がする。
盾を強化するには、やはり地道な努力しかない。
スポーツ選手のように日々のトレーニングの繰り返しの中で、スキルを高める。
それしかないだろう。
中田は、こわもてのイメージがあるが、付き合ってみると、実は彼ほどナイーブで、優しく、心配りのある人は居ないそうだ。
しかし、ピッチの上に立てば、外人のボディアタックにも負けない屈強さを持ち、メンバーを先輩と言えども容赦なく叱咤し、監督とも激論(喧嘩?)し、無責任な憶測のコメントを書くマスコミには牙をむく。
核(コア)が純粋で、やわらかく、こわれやすいものを持っているヒデが何故、あんなに強くなれるのか…そんな素朴な疑問が「盾SHIELD」という概念を想起させるきっかけになったという。
ヒデは、やわらかな核をサッカー技術、鍛えた肉体、優れた言語力などでしっかりとプロテクトしている。だからこそ、周りに振り回されない強さが発揮できる。
ヒデと龍さんの親交は、長く深い。
ヒデのホーム・ページにも龍さんに関する記述が時々出てくる。
二人で旅に行った時のことを綴ったHPは、かなり面白かったという記憶がある。
そして、二人の親交から生まれた作品は、「盾」にとどまらない。
「文体とパスの精度」という対談集がある。
そして、お勧めは「悪魔のパス天使のゴール」。セリエAで活躍する日本人プレーヤーをモデルにしたサッカー小説で、設定からして主人公とヒデがダブる。
そもそも題名が素晴らしい。ミッドフィルダーが切り裂くように繰り出す悪魔のようなスルーパス、そしてFWが優しく運ぶ天使のゴール。
サッカー好きの人なら、この題名にしびれるのでは。
僕は、暫くの間、中田英寿ウオッチャーだった時期がある。
それについては、又の機会に書く。
問題は、「盾」だ。
僕の盾はどんどん弱くなっている。
前回のBLOGのコメント欄でUNKNOWNさんが書いていたように僕も盾を再強化しなくてはならない。
どうも最近、根気が無く、惰性で生きているような気がする。
盾を強化するには、やはり地道な努力しかない。
スポーツ選手のように日々のトレーニングの繰り返しの中で、スキルを高める。
それしかないだろう。
でも、そうなったのは、その環境が自分にあったからで、きっとkevinさんにはありえない環境でしょう。
であるなら、少し壊れた盾を少しづつこまめに修復していかなければならなでしょうね。
多分、少し壊れた盾が自分の中にある事を認めることすら許せないでしょうから、まずは、
「自分の盾は弱っているんだ」と認めるべきです。
そうすると少し楽になって壊れている箇所が見えてくるかもしれませんよ。
大丈夫。いつもそう言ってますね。でも大丈夫じゃないですよね。
大丈夫じゃない、そう言ってもいいんだって言う事を教えてくれたのは貴方です。
じゃあ、自分にだって優しくしてもいいじゃないですか。
大丈夫じゃないんだ、っていえる場所はあるはずです。だって、その為に私達が居るんですから。
言ってもらえない自分が情けなく思えてきます。
こうして自分を心配してくれている人がいると思うだけでも、随分、救われます。
ところで、僕はあなたを少しは支えることが出来たのでしようか?