僕は、隠れハルキストです。
“隠れ”じゃないかな?
多分、知ってる人は、知ってる。
ちなみに1番好きなのは、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」。1番読み返したのは「ノルウェーの森」です。
コロナウイルスによって自宅での幽閉?を余儀なくされているところに、村上春樹の新刊「猫を棄てる」が出たので、直ぐに手にした。本編わずか97頁、後書きを入れても101頁の小編である。短編小説ではない。村上が、初めて彼の父親について語っている。従って、エッセイに近い。しかし、村上特有のメタファー、即ち、猫に関する話しがこの小編を単なる父の回顧録に終わらせず、彩りと深みと普遍性を与えている。
猫の話し。一つは、父親と遠くまで猫を捨てに行ったのに、二人が家に帰ったら、既にその猫は先回りして家にいて、2人を驚かせ、結局飼い続けることにしたという思い出。
もう一つは、木登りが得意な猫が、庭の木にどんどん登って行ったけど、降りれなくなってしまう。泣き声だけが聞こえるが、村上少年にはなす術もなく、翌朝、心配して木のところに行ったら、猫は消え、それ以降どこへ行ってしまったのか分からないという話し。
父親の人生には、戦争が濃い色を落としている。
戦争から、奇跡的に返還出来た父。戦地で消えてしまった戦友。
それらは、全て偶然。
最近、僕は思う。
偶然とは、天の配剤。偶然が、重なり、偶然は必然となる。それが人の人生。
父親が戦死していたら、村上は存在しない。彼の小説も誕生しない。しかし、村上は存在し、物語を書いている。
偶然の重なりの中で、僕達は生きている。そして、偶然は、いつしか必然となる。
コロナ禍で、家にいる人の為に、村上春樹が、ステイホームスペシャルとして、5/22 10時PMからFM東京でDJを行う。
これまでも、村上Radioとして、十数回の単発番組がある。
今日、YouTubeで、村上Radioの12回目の放送を聞いた。ジャズが苦手な人の為のジャズ・ボーカルというのがテーマ。1日彼女と素敵なデートをして、家に帰り、ほっこりした気分でソファーに座り(僕の場合は、寝転び)、そこで聞きたい曲というのが選曲の基準。
ここ数日、死に関して少しシリアスに考えることがあった。
死とは、単に無に帰るだけのこと。
僕は、恐れない。
しかし、村上Radioでかかった、例えば、レスター・ヤングの甘美なサックス、死んだらこういうのを聴けなくなることは無性に寂しい。
因みに、村上Radio の提供は、大日本印刷。合間に流れるCMは、番組への共感と良心が感じられ、中々に素敵だ。
秋月くん(凸版印刷に転職した後輩)、ライバルも頑張っているよ。
(追記)
海辺のカフカ出版02年。そこでは、父親殺しが描かれている。
父の死亡08年8月。
ずっと父親と確執のあった村上が、父との関係を修復したのは、父が亡くなる直前だとのこと。
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