出張の帰りの新幹線の中で、リリー・フランキーの「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」を読み終えた。
ユニークな活躍をするリリーさんが、亡きお母さんへの想いをユーモラスに、ストレートに、そしてこぼれるほどの一杯の愛情をこめて描いた作品だ。
僕には、父が二人居ると以前書いたことがあるが、父が二人居るからには当然母も二人いる。
しかし、父と異なり、僕には母が二人居ると単純には言えない。
隣に住んでいる義母には申し訳ないが、僕にとっての母は自分を産んでくれた実母以外には居ない。
父は、リリーが描くように重要で、しかも存在が大きくても「時々」の人でしかあり得ない。
しかも、父親というのは家庭という真にパーソナルな空間の構成員である以前に、社会の中で対峙するオス同士という感覚がある。だから二人居ても違和感はない。
しかし、母は違う。実の母が与えてくれた愛情、それは無私のものだ。
無私の愛で包み、自分を庇護してもらった記憶は忘れ得ない。無私の愛で自分を育ててくれた人こそが母であり、その代替はあり得ない。
リリーとオカンは濃密な関係を続け、母の死により別れを迎えるが、それでも、もっとオカンのことを愛せなかったのか、優しくしてあげれなかったのかという悔恨の情が伝わる。
この悔恨が本書を書かせたような気がする。
最も愛しながら、実は何もしてやれなかった悔恨。
僕の母は健在だ。
しかし、会うのは年に2~3回だけだ。
まだ若く見えるとはいえ、実際には随分、老けた。
母が今、逝ってしまったら僕の悔恨はリリーの比ではないだろう。
本当に親孝行らしいことは何もしていないのだから。
リリーと同じように、子供時代の僕にとって一番怖い夢は母親が死んで、目の前から居なくなることだった。
僕はマザコンでもないし、母への応対もクール過ぎるかも知れない。
一方母は、僕が何歳になっても、子供のときと同じように無私で僕の幸福を祈っている。
でも、そんな母を僕は忙しさにかまけて顧みない。
一番怖い日が来るのは、想像するのも嫌だ。しかし、人間の死は不可避だ。
ならば、少しでも悔恨しないように今から努めるしかないだろう。
オカンを大切にしなくてはならない。
明日は会社をサボって会いに行くことにした。
ユニークな活躍をするリリーさんが、亡きお母さんへの想いをユーモラスに、ストレートに、そしてこぼれるほどの一杯の愛情をこめて描いた作品だ。
僕には、父が二人居ると以前書いたことがあるが、父が二人居るからには当然母も二人いる。
しかし、父と異なり、僕には母が二人居ると単純には言えない。
隣に住んでいる義母には申し訳ないが、僕にとっての母は自分を産んでくれた実母以外には居ない。
父は、リリーが描くように重要で、しかも存在が大きくても「時々」の人でしかあり得ない。
しかも、父親というのは家庭という真にパーソナルな空間の構成員である以前に、社会の中で対峙するオス同士という感覚がある。だから二人居ても違和感はない。
しかし、母は違う。実の母が与えてくれた愛情、それは無私のものだ。
無私の愛で包み、自分を庇護してもらった記憶は忘れ得ない。無私の愛で自分を育ててくれた人こそが母であり、その代替はあり得ない。
リリーとオカンは濃密な関係を続け、母の死により別れを迎えるが、それでも、もっとオカンのことを愛せなかったのか、優しくしてあげれなかったのかという悔恨の情が伝わる。
この悔恨が本書を書かせたような気がする。
最も愛しながら、実は何もしてやれなかった悔恨。
僕の母は健在だ。
しかし、会うのは年に2~3回だけだ。
まだ若く見えるとはいえ、実際には随分、老けた。
母が今、逝ってしまったら僕の悔恨はリリーの比ではないだろう。
本当に親孝行らしいことは何もしていないのだから。
リリーと同じように、子供時代の僕にとって一番怖い夢は母親が死んで、目の前から居なくなることだった。
僕はマザコンでもないし、母への応対もクール過ぎるかも知れない。
一方母は、僕が何歳になっても、子供のときと同じように無私で僕の幸福を祈っている。
でも、そんな母を僕は忙しさにかまけて顧みない。
一番怖い日が来るのは、想像するのも嫌だ。しかし、人間の死は不可避だ。
ならば、少しでも悔恨しないように今から努めるしかないだろう。
オカンを大切にしなくてはならない。
明日は会社をサボって会いに行くことにした。
二人とも元気で、良かった。
1月14日
でも二人とももう私の前に現れる事は無いでしょう。
二人とも素晴らしい人達でした。
私は二人の母を心から愛しています。
きっと男性とは違った思いなのでしょうね。
男の人はある意味みんなマザコンです。
でも、それが正しい世の中だと私は信じています。
女には感じられない母への思い。
後悔することなく感謝をしましょう。
そして親が望んでいる事を守ってあげましょう。
きっと、みんな同じです。
親より先に逝ってしまわない事。
必ず、父も母も見送ってあげなくてはいけません。
それが自分をこの世に送り出してくれた人への
最大の愛だと思います。
KEVINさんみたいな大人が、堂々と会社をサボルと宣言できるのは、なんだかかっこいいです。
ちなみに私の母は、典型的な中年ババアで、韓国ドラマをみるためだけに、壊れてもいないのに、衛星が映るテレビに買い換えてしまっていました。
最近実家に帰ると、もっぱらチャングム(韓国ドラマ)の素晴しさを目をキラキラさせながら語ってきます。我が母ながらかわいいです。
近い将来韓国旅行に連れて行ってあげようと思っています。
可愛いお母さんですね。
僕も、実は結構泣き虫です。しかし、この本では泣きませんでした。
きっと、自分の親不孝ぶりに気づいて、そちらの方の感情=自己反省など=が強すぎたせいかもしれません。