KEVINサイトウの一日一楽 

人生はタフだけれど、一日に一回ぐらい楽しみはある。

東京タワー オカンとボクと、時々、オトン

2006年01月13日 | Book
 出張の帰りの新幹線の中で、リリー・フランキーの「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」を読み終えた。

 ユニークな活躍をするリリーさんが、亡きお母さんへの想いをユーモラスに、ストレートに、そしてこぼれるほどの一杯の愛情をこめて描いた作品だ。

 僕には、父が二人居ると以前書いたことがあるが、父が二人居るからには当然母も二人いる。
 しかし、父と異なり、僕には母が二人居ると単純には言えない。
 隣に住んでいる義母には申し訳ないが、僕にとっての母は自分を産んでくれた実母以外には居ない。

 父は、リリーが描くように重要で、しかも存在が大きくても「時々」の人でしかあり得ない。
 しかも、父親というのは家庭という真にパーソナルな空間の構成員である以前に、社会の中で対峙するオス同士という感覚がある。だから二人居ても違和感はない。

 しかし、母は違う。実の母が与えてくれた愛情、それは無私のものだ。

 無私の愛で包み、自分を庇護してもらった記憶は忘れ得ない。無私の愛で自分を育ててくれた人こそが母であり、その代替はあり得ない。

 リリーとオカンは濃密な関係を続け、母の死により別れを迎えるが、それでも、もっとオカンのことを愛せなかったのか、優しくしてあげれなかったのかという悔恨の情が伝わる。

 この悔恨が本書を書かせたような気がする。
 最も愛しながら、実は何もしてやれなかった悔恨。

 僕の母は健在だ。
 しかし、会うのは年に2~3回だけだ。

 まだ若く見えるとはいえ、実際には随分、老けた。
 母が今、逝ってしまったら僕の悔恨はリリーの比ではないだろう。
 本当に親孝行らしいことは何もしていないのだから。

 リリーと同じように、子供時代の僕にとって一番怖い夢は母親が死んで、目の前から居なくなることだった。

 僕はマザコンでもないし、母への応対もクール過ぎるかも知れない。
 一方母は、僕が何歳になっても、子供のときと同じように無私で僕の幸福を祈っている。
 でも、そんな母を僕は忙しさにかまけて顧みない。

 一番怖い日が来るのは、想像するのも嫌だ。しかし、人間の死は不可避だ。

 ならば、少しでも悔恨しないように今から努めるしかないだろう。

 オカンを大切にしなくてはならない。
 明日は会社をサボって会いに行くことにした。
 


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
元気だった (KEVIN)
2006-01-15 21:07:16
 オトンとオカンに会ってきた。

 二人とも元気で、良かった。

 1月14日
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Unknown (Unknown)
2006-01-16 00:02:07
私にも二人の母がいました。

でも二人とももう私の前に現れる事は無いでしょう。



二人とも素晴らしい人達でした。

私は二人の母を心から愛しています。



きっと男性とは違った思いなのでしょうね。

男の人はある意味みんなマザコンです。

でも、それが正しい世の中だと私は信じています。

女には感じられない母への思い。

後悔することなく感謝をしましょう。



そして親が望んでいる事を守ってあげましょう。

きっと、みんな同じです。

親より先に逝ってしまわない事。

必ず、父も母も見送ってあげなくてはいけません。

それが自分をこの世に送り出してくれた人への

最大の愛だと思います。
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泣いた? (sato)
2006-01-20 09:18:48
この本を読んで、私は嗚咽が出るほど泣きましが、KEVINさんはどうだったのでしょう?

KEVINさんみたいな大人が、堂々と会社をサボルと宣言できるのは、なんだかかっこいいです。



ちなみに私の母は、典型的な中年ババアで、韓国ドラマをみるためだけに、壊れてもいないのに、衛星が映るテレビに買い換えてしまっていました。

最近実家に帰ると、もっぱらチャングム(韓国ドラマ)の素晴しさを目をキラキラさせながら語ってきます。我が母ながらかわいいです。

近い将来韓国旅行に連れて行ってあげようと思っています。
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泣かない (KEVIN)
2006-01-20 22:44:21
satoさんへ



可愛いお母さんですね。



僕も、実は結構泣き虫です。しかし、この本では泣きませんでした。



きっと、自分の親不孝ぶりに気づいて、そちらの方の感情=自己反省など=が強すぎたせいかもしれません。
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