5.2. 行基修行場を造る
行基は数日間、山を巡って探索した。
行基は山を下りると渡村の保長に会いに行った。保長は坂元と云う男だった。
行基は坂元に厳かに言う。
「今朝儂は人の声で目が覚めた。周りは深い霧に包まれて十間先も見えない状態だった。
辺りを見回したが誰もいなかった。気のせいか、と思ったときに、人の声がした。
しかし声の主は見えない。『お前は誰だ』と聞くと、はっきり返事が返ってきた。
『儂は熊野の大神である』
『たわけたことを申すな』と儂は一喝し、姿を見せろと大声で言った。
すると霧の中の一点が光り輝きだし、霧の中に五間ぐらいの大きさの丸い虹の輪ができた。儂は魂消て、跪いた。声はその環の中から聞こえた。
『儂は熊野の大神である。これからお前に言うことを心して聞け』
儂は驚愕して思わず『ははっ』と慌てて頭を下げた。
熊野の大神は儂にこう言われた。
『虚空蔵菩薩像を彫ってこの山に安置せよ、その虚空蔵菩薩を儂の化身と思い祈願・精進すれば多くの悩みや苦しみから開放されるであろう』
儂は何か言おうとしたが、出来なかった。その虹色の光の輪はだんだん小さくなり、東の方に消えていったのだ。
これは正しく熊野の大神のお告げである。
お告げは守らねばならない。
そこで儂はこれから、虚空蔵菩薩像を彫ろうと思う。お前たちはこの彫ったこの虚空蔵菩薩様を安置する草庵を作ってくれないか」
それから2ヶ月後、行基は虚空菩薩像を彫り上げた。またこの頃には、神奈備山の中腹の平地に草庵も完成していた。
行基と村人は虚空蔵菩薩像を草庵に安置し落慶式を行った。
寺伝によると、草庵に虚空蔵菩薩を安置すると、求聞持の法を行い、仏法の栄えるるよう祈った、とある。
しかし、この求聞持の法は虚空蔵菩薩求聞持法と呼ばれる記憶力増進のための修行法であり、それは、決められた作法に則って虚空蔵菩薩の真言「のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか」を1日1万回ずつ100日かけて100万回唱えるという修行法で、荒行とされているものである。
そういうことで、仏法が栄えるように祈願することとはすこし目的がずれているようであるが、それはさておくことにする。
行基は当分の間、渡村の人々に道場の維持管理をするように言い、また寺への参拝の手順や修行の方法等を一通り教授した。
そして行基は村人に言う。
仏教とはなにか?
以前言ったように、この仏教というものは遠い昔、海の向こうの遥か彼方にある天竺という国に生まれたお釈迦様という人が長い修行の中で悟られた教えである。
お釈迦様は悟られた。
「人生は思い通りにはならない」と知ることが大切であるという。
世の中は諸行無常つまり、移り変わるもので、何一つ変化しないものはないのである。
このことを悟れば、一喜一憂することもなく心の安定が得られ、心の苦しみから解放されるのである」
お釈迦様はその悟りを広めようとしたが、当時人々が受け入れてくれるかどうか自信はなかった。
というのもそれを理解するには、自我を捨てることから始めなければならないが、自我というものはそう簡単に捨てきれるものではないからである。
そこで、その自我を捨てる修行から始めるように教えた。
まずは 万物に平等に降り注ぐ日の光や慈雨に感謝することから始めなければならない。
自我を捨て去ったときに遠くに見える風景が悟りの入り口である。
・・・・・・
行基の弁舌は熱を帯び、話は神がかってくる。
虚空蔵菩薩はこの大地に生ける全ての物を育てる日の光や雨をそそぐ天を仏格化したものである。
すなわち、神奈備神社に御座す神は虚空蔵菩薩の権化だったのである。
と突拍子もない事を言いだしたが、行基の魔法のような演説に酔っていた村人は疑念さえ浮かばなかった。
かくして、神奈備山の中腹に虚空蔵菩薩を本尊とする修行道場が誕生したのである。
5.3. 告白
行基は、村を去る前に保長の坂元を密かに呼んで驚くことを打ち明けた。
「これは内密にして欲しいのだが」と行基は坂元の目を睨みながら言った。
坂元は唾を飲み込んで頷いた。
「お前にだけ本当のことを言っておきたいのだが、実は、儂は行基様ではない。
儂の本当の名前は行海と云い、行基様から命を受けて諸国を巡歴して仏教の布教を行っているものである。
仏教の何たるかも知らない人々がいる土地で、仏教を布教するには、行基様の名前を使って行うのが、誠に都合がいい。
しかし、いつか儂が行基様の偽物であることがバレると思う。
その時に、儂が罵倒されることは構わないが、仏教や行基様まで悪し様に言われるのは不本意であり、無念である。
そこで、もしこのことがバレたらお前の方から、儂の本心を人々に伝えて欲しいのだ。
儂がしたことは、目的を達成するための手段の一つであって本筋は、離れていない。
仏教用語でこれを『嘘も方便』という」
坂元は魂消たが、騙されたという怒りは湧いて来なかった。
坂元は行海の勤行や説教を通じて、すっかり仏教や行海の人柄の魅力に取り憑かれていたからである。
しかし坂元はすぐに冷静になっていた。
「事情は良く分かりました。
しかし、行海様、この修行道場はやはり行基様がお建てになったと言ってまちがい無いでしょう。
行海様は、行基様からの指示でこの地に修行道場をお建てになった。
と云うことは、やはりこの道場は行基様がお建てになったことに間違いないでしょう。
行海さまや私たちは、いわゆる施工者であって、あくまでも施工主は行基様です。
ここらの人々は田舎者ですから本当の行基様を見たものなぞいやしませんし、行海様が偽物であると思う人もいません。
だから、あえて、あなた様は偽の行基様であると云う必要はありません。
後は私にお任せください。
この寺は行基菩薩が創建された寺であると、代々伝えて行きます」と坂元は自信たっぷりに答えた。
行海は安心したように頷き、目を閉じて何やらお経を唱えだした。
坂元は黙って行海を見ていた。
本尊:虚空蔵菩薩 開山:行基 開基:坂元(現在:不詳とされている)
こうして、甘南備寺は行基が創建した、という言い伝えが生まれ、寺伝として後世に伝えられるようになったのではないだろうか、と妄想した。
<続く>