そううつ日記

写真付きで日常や病気のことについて書いていきます

揺れ

2015年01月23日 | 日記
少し散歩ができだし、本が読めだし、詩がかけだしと回復の兆しを感じていた矢先、突然何もできなくなり、初めてうつ気分になった。友人にメールしたり自分で大丈夫と言い聞かせていた。三日そんな日が続き不安にかられたが、よく眠れたおとといには気分は落ち着き元通りになっていた。昨日診察で先生に聞いたら「揺れです」と。そんなおおきな揺れもあるのかとびっくりしたけど、安心。でも早朝覚醒が続き(1時~3時に覚醒)朝食後は二時間ぐらい寝てしまい、日中もうとうとするので、それも揺れを引き起こす原因かなと思い先生と相談。寝れる作用のある不安薬メレックスをだしてもらった。そして食後寝ないようにカフェインの入った飲み物を飲むことに。10月にダウンして以来コーヒーが飲めなくなっていたので紅茶を飲むことに。
しかし、薬は効かなかった。9時半就寝、1時にトイレ、それから眠れないけど布団の中で我慢。3時起床。深夜便のラジオを聞いて5時に朝食づくり。8時まで紅茶を飲んでラジオを聴いていたら眠らずすんだ。熟睡したいねえ。道のりは遠い。

幸せになるために

2015年01月16日 | 日記
はじめに、昨日のブログの★のことを訂正します。南東の空に見えるのはオリオン座でした。

さて現在私は手抜きの家事ができるだけで、散歩は5分、ようやく活字が10分ぐらい読めるようになり、ぼつぼつブログを書けるようになったところです。それができるようになったことだけでも幸せと思うのは昨日書いたように身近なことに喜びをたくさん見いだせるようになれたからです。

加えて寛解までの10数年のそううつの苦しい波の間に支えてくれる人がたくさんいたということです。家族、友人、同僚、親戚、先輩、近所の人、いきつけのラーメン屋のおばさん、もちろん医療スタッフも。

テレビで阪神大震災から20年、こころの回復を調査した報告がありましたが人と協力して過ごしてきた方の方がはるかにその回復度が高かったです。

私はいまも人に恵まれ、また詩集の出版を通して知らない方とつながりができて幸せです。

でも支えてくれる人がなく苦しんでいる人が多いのもまた事実です。
そういう意味では当事者の会や、相談窓口があるといいですね。
私も回復したらまず、当事者の会を作る方法をすでに病院に併設してあるセンターに相談してみようと思います。

幸せ探し

2015年01月15日 | 日記
そううつでうつ状態の時、予定していたイベントに行けなくてひどく落ち込む人がいます。人生の最大のイベントは結婚と出産だと言う人もいます。それはべつに否定はしませんが、喜びはもっと身近な所にあると、病気になってからつくづく私は思うのです。うつでもそっと外へ出、小さな野の花に出会い、空を見上げて青空と雲の移ろいを見てください、夜空を見上げてください、きらめく★に出会うでしょう。今南東の空、8時ごろカシオペア座が見えますよ。ラジオからはいろんな音楽が流れます。

私は10月中旬体調を崩してから気分の落ち込みはないけどできないことはまるでうつの時と同じよう。そしてその回復過程も。前のようにできなくても小さなことに喜びを見出して療養しています。最近では春の兆しを探しに畦道をやっと散歩することができ始めました。5分が4回です。紫色のホトケノザ。青色のオオイヌノフグリも発見しました。

小さな喜びを積み重ねていれば人は幸せでいられると私は思います。たとへ寛解しなくても。




あけましておめでとうございます

2015年01月01日 | 日記
大晦日の午後居間の大掃除は全部夫。(前の日枕元にある雑誌や本などは20分やっては20分休憩してそれを4セットして私も片付けしましたよ)そして料理はすべて夫。皿鉢に刺身や組み物二皿、職人のように美しく盛っていました。最後に勝手口にあるなんてんの葉を添えて
、年越しそばも作ってくれました。さすが10年あまり私が病気の間腕をみがいていました。久々に紅白をまともに10時までに見、後は録画。洗い物だけして10時半就寝。眠れるか心配でしたが途中覚醒もなく4時半まで熟睡。でも夢は最悪。友達とサービスエリアで怒られながら働き、どっと疲れ「そううつ病なのに、こんなに働いたらいけないじゃないか」と思ったら目覚めました。お腹がもたれてる。食べすぎた。やはり。

元旦の朝の雑煮は山に引っ越してきてから20年、伝統だそうで、ゆでた餅に砂糖醤油か、きなこと砂糖をかけたものとシンプル。今日は少なめにしときます。今から昨日録画した紅白を見ます。
今年も幸せと感じられる1年となりますように。皆さんにとっても。今年もよろしくお願いします。