オジィがアメリカーに行ったと聞いた。
橋がかかっても陸上の情報はあまり入ってこない。
作業船では、オジィが乗っているだけで、
天候が急変しても心強かった。
オジィは、元南方マグロ船の漁労長をしていたことも
あって、島では一目置かれている存在だった。
終戦の年に、後1年早く産まれていれば、兵隊に
なっていたそうだ。
オジィをよく知る人が「あのオジィが戦争に行って
いたなら、戦争は終わっていなかったかもしれないよ。」
と冗談まじりに言っていた。
戦後、オジィは、しばらく海賊と呼ばれる仕事を
していたそうだ。
この話を聞くのが大好きで、同じ話を何回も何回も聞いた。
そのたび、少しづつ脚色が変わるのが面白い。
海賊の仕事は、当時盛んにおこなわれていた密貿易で、
台湾・香港・マカオまで、海原を駆け回った。
沖縄からの貿易品は、戦争で山積みになった薬きょう類で、
それを遠くはマカオで売りさばき、そのお金で日用雑貨を
買い入れてくる。薬きょう類は高く売れ、仕入れた
雑貨は飛ぶように売れたという。
沖縄には「20日うぇーき」という言葉がある。
ウェーキ うやきは、方言で金持ちのこと。
たった20日で金持ちになったという意味。
当時の船でマカオまでの往復が20日であったことから、
このような言葉がうまれた。
この時代を生き抜いたオジィ達の南方での話や密貿易の
話など、何回聞いても飽きることはない。
お酒が入ると身体全身を使って、大きな話をするので、
映画や本よりもずっと面白い。
もうそういう話も聞けなくなってきた。
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