宮古島の歴史を探っていくとここに行き当たる。
先島諸島が文献に出てくるのが、1477年、
与那国島に漂着した朝鮮人が書き残したものが
もっとも古い。おそらくそれまでは島に共通する文字が
なかったからだろう。ある本には、与那覇湾あたりに
「外来文化を持つ人達が居住した」とある。
製糖工場のところには日本一古い橋と言われる石橋が
あり建造は1,500年。あまり知られていないが、
与那覇湾には日本最古と思われる桟橋もある。
一度調査に付き合ったことがあるが、その建造方法には
仮説ながらも驚かされることばかりだった。
もしも・・・・ 私が新天地を求め水平線を
めざして、この宮古島にたどり着いたなら、まず遠浅に
広がる干拓の与那覇湾を居住地と定めるだろう。
近くには淡水が湧き出ている川もあり、海を渡って
きた人物なら湾の色合いを見てすぐに確認できる。
なんと言っても干拓は豊かで、水中眼鏡がなくとも
幅広く海の幸が手に入る。昔はジュゴンもたくさん
いたそうだ。クリ船(カヌー)が数隻あれば
クジラやイルカも追い込んで捕ることも出来るだろう。
気象条件の厳しいこの宮古島の中でも、与那覇湾なら
ほぼ毎日、海に出ることができる。
ただし、敵がいなければの話。もし少数の民で外敵から
砦のように守りそして攻めるならやはり大神島に
拠点を築く。人類最古の武器と言われる石ころには
事欠かない。先島諸島の歴史本を読んでいると、
妄想が膨らむばかり。
クジラの歯でペニスケースを作って、貝と獣の骨で
作った首飾り、頭には鳥の羽の冠
与那覇湾を見下ろす階段に座って、海を眺めていると、
そんな自分の姿が目に浮かぶ。
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