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うんたま森のキジムナー

55周年

JTAの機内誌 コーラルウェイにJTA 55周年の

特集が載っていた。戦後沖縄の離島を結ぶ空の便は、

エア・アメリカの飛行機だった。

 

エア・アメリカが沖縄線から撤退するのに合わせ、

日本航空と沖縄側との合弁で航空会社を設立することが

許可され1967年に誕生したのが南西航空

(SWAL)現在のトランスオーシャン航空の前身。

南西航空設立1967年6月20日。

一番機が那覇空港を飛び立ったのは同年7月1日。

 

創立当時、約80名で始まった南西航空。

現在のトランスオーシャン航空は800名を超える社員がいるそうだ。

本土復帰から今年は50年目だから復帰の5年前ということになる。

 

初めて宮古島に来たときは南西航空だった。

那覇空港に到着して預けていた荷物を一度受け取ってから

国内線ターミナルを出て国際線ターミナルを超えたところに

南西航空のターミナルがあった。

夏の暑い日差しが照りつける中大きな荷物を持って

汗だくになりながら歩いた。

30年以上前になる。

 

1989年には東京ー宮古島直行便が開設され、1993年

鹿児島ー那覇便が開設された年に南西航空から

現在のトランスオーシャン航空に社名が変更された。

個人的には南西航空という社名の方が好きだ。

 

1980年代は、現在ほど飛行機を頻繁に利用する人は

それほど多くはなかった。

飛行機に乗ると誰かしら知り合いと挨拶するのが普通だった。

今は本土の電車かバスに乗るような感覚で島民が気軽に利用する。

55周年の55年間、人身死亡事故記録を継続している。


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コメント一覧

kijimuna
海洋博に連れてきてもらったのが初めての沖縄でした。
あまり記憶にありません。
宮古島のコロナの累計感染者数が12500人を超えました。
大変なことになっています。
ダイバー
初めて沖縄を訪れたのは50年前、高価な飛行機は手が出ず、フェリーの二等船室、船底の大部屋で48時間の船旅でした😅 沖縄が日本に変換される前で、事前にパスポートを取得しました😵 但し、アメリカの占領地でしたので外国扱いの外務省でなくて総理府の発行でした😅 
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