沖縄では唄の八重山、武の宮古と言われるように
宮古島の人は気性が荒いと思われている。
宮古島の中でも集落によって地域性があり農耕民族と
海洋民族に分かれる。
海洋民族性は比較的気が短く「宵越しの金は持たない」
金がなくなれば海に出る。
農耕民族性は収穫の時期まで待つことができると
いうような気質。狩俣の人は農耕民族性で、温厚と言った感じ。
海には出るが海の畑と言われるモズクの養殖をしている人が
多い。そしてこの集落では家に鍵をかける人などいないと
言われている。
実はこの狩俣集落は「城郭集落」で、昔は石に囲まれた塀が
あり東西南北には門があった。
現在も集落の入り口には当時の門が復元されて残っている。
昔は年に一度、この門が封鎖され門番が立てられ一切の
出入りができない日があったそうだ。
また、結婚して新居を持ちたくても石垣の外側での新築が
禁じられていたので多くの若者たちが否応なしに
狩俣から外へと出された。
成川・平良・城辺などにルーツをたどれば狩俣という人が
意外に多いのはこのためだと言われている。
ところで、この門を造り城郭集落をつくったのが
「クバラパーズ」と言う人で、12世紀ごろに中国から
流れてきた人だと伝えられている。
クバラパーズの話は、また次の機会にして、観光景勝地である
池間大橋を渡るのにこの集落を通るので集落内は
徐行を心がけてください。
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