こんにちは。
だいぶブログ執筆が滞っておりました。ごめんなさい。
2024年1月に母が88歳で亡くなりました。亡くなる前後で面会や告別式等々でどたばたしてブログ更新の余裕がありませんでした。
母の思い出はもう書けないだろうと思いました。ここに紹介したいと思います。
母はおそらく若い時から統合失調症(とうごうしっちょうしょう)だったようです。60歳ごろから症状がはっきり出はじめて専門医で治療を始めました。
統合失調症というのは、自分のこころや自分の考え、行動などをうまくまとめることができなくなる病気です。この病気のため本人はあたりまえのこともなかなかできず、イライラすることもあったようでした。
たとえば、母はお掃除や片付けなどの整理整頓の仕事が苦手だったように思います。お料理もどちらかと言うと得意ではなかったです。母は自分で努力されて季節の野菜を煮たり焼いたりして、真夏のトウモロコシなど美味しいものを食べさせてくれました。
このように精神的な病気をしながら、父とともに3人の子供を一人前に育てたのは大変だったと思います。苦難の連続だったでしょう。母の人生は修行ということばがまさにぴったりする人生でした。難聴者の人生もやはり修行です。
次に母と生活していた時のエピソードを紹介したいと思います。
父が主に母の介護をしておりました。小生も母のために通院のお供をしたり食事の介護をしました。何年もやりました。これだけ奉仕したのだから母に何かお願いできないものかとふと考えたことがありました。そしてひとつ願い事が思いつきました。
それは変なお願いでした。母がもし天国に行った時、神様に会ったらその神様にお願いしてほしいことがあったのです。いざ母に言おうとすると、母が亡くなることを前提にお願いをするわけで、ちょっと言いずらかったです。小生は意を決して言ってみました。
「かーちゃん(かあさん)。 かーちゃんがもし亡くなって神様に会ったら、神様にお願いしてほしいことがあんだ。自分は難聴で困ってんだ。だがら自分の難聴を治してくれるようにその神様にお願いしてほしいんだ。」
小生はそう言いました。最初ぽかんとしていた母は、小生がもう一回同じことを言うと、はっきりした口調で「わがった。(わかった)」と言ったのです。小生は母が小生の気持ちを理解してくれたのですごくうれしかったです。
母からもらったご褒美です。今思えばお願いしたことは失礼だったと思います。でも小生は難聴から回復できることを今でも期待しています。
「かーちゃん。今までの人生でいいことも悪いこともあったけど、私を生んでくれてありがとう。」
ご訪問ありがとうございました。
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