気の広場

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  日常雑感あれこれ・・・

家庭教育の乱れ ・・・ お伽噺考

2010-02-07 16:17:00 | Weblog
むかしむかしあるところに ・・・


日本お伽噺の登場人物の世代構成は

  おじいさん

  おばあさん

  お孫さん  ・・・ が主に出てきます。

勿論

  お父さん

  お母さん ・・・ がいないわけではありません。

したがって

「三世代」の構成になっている ・・・ のです。


では

なぜ両親が出てこない ・・・ のでしょうか

ここに

三世代の深い意味がある ・・・ のです。


たしかに

親子はかけがえのないつながりですが

しかし

そのつながりの重さと

  深さがわかるのは

        年をとってから ・・・ なのです。

日本お伽噺の語り部は

        年寄りにある ・・・ のです。


いうならば

人間性の源泉の真実さというものは

  年をとってみなければわからない ・・・ のです。

その人生の深さを

  年寄りから孫へ

       伝えようとしている ・・・ のです。


『桃太郎』にしても

『花咲かじいさん』にしても

老いてはじめてわかる

  「人生の意味」がある ・・・ のです。


そう思ってみると

今日の家庭教育の乱れは

  三世代の深さを忘れた

    二世代のどろどろした未熟さにある
 
                 ・・・ のではないでしょうか。










お頼り信仰 ・・・ 低級信仰

2010-02-07 07:16:35 | Weblog
 10年近くもウツ病に悩まされいたMさんは、2年ほどで完治しました。

 Hさんは私と縁ができるまでは、いろいろな宗教に入信してまいりましたが、良くなるどころか、ますますひどくなって行ったのです。

 それは、入信した信仰がどれもこれも一様に「お頼り信仰」「信仰すればご利益がある」という信仰だったから だめなのです。
自分自身の腹の中に、主体性が生まれない信仰をいつまで続けていても、ノイローゼ的心の病は征服できません。

 Hさんは、何年か通った後、一向に心が落ち着かないので「止めます」というと、「バチがあたる」「災難がくるぞ」と何回もおどかされたそうです。
脅迫したり、不安をかき立てる信仰は、それ自体低級信仰 ・・・ なんですよ。
 宗教というのは安心を与えるものだし、神仏が罰をあてるなどということはありません。
もし罰をあてる仏がいたら、それは仏の顔をした悪魔にすぎません。
なにも恐れることはない ・・・ のです。

 Hさんは仏様におすがりすることばかり考えていたのでしょう。
ですから、自らを征服できなかったのだと思います。

 Hさんは 今の生活が夢のようです ・・・ と 喜んでおります。

 信仰の間違い、低い信仰がいかに人を惑わしているか ・・・考えても恐ろしいことですね。



* ちなみに、私は宗教家ではありません。念の為。





いんちき臭い宗教 ・・・ ご注意あれ

2010-02-07 06:40:34 | Weblog
 不景気、社会不安 ・・・ のせいでしょうか、いんちき臭い宗教が跋扈(ばっこ)している ・・・ と聞き及びます。

 最近の傾向として、多数の人々は、テレビや新聞などの宣伝で物を買うという心理作戦に慣らされて、信心宗教までが、誇大広告にのせられて入信するという、悪いクセがついてしまっているのではないでしょうか。
宗教というものは「一人一宗」でありまして、一人ひとりの主体性を大切にする生き方を体得するものでなくてはならないのです。
 ですから、大衆集団として洗脳された信仰には、いつも危険がともなうものです。

 大衆というものは、個人としての自覚に立って、物を選んで買うということを忘れ、テレビの広告宣伝で買わされているのだという意見がありますが ・・・ 本当だと思いますね。
宣伝で「買わされる」というのは、訪問販売も宗教販売も変わりません。

 誇大広告をするような宗教は、いんちき臭いと一応疑っていいでしょうね。
利幅の大きな商品ほどウソが多いのと同じです。

 「三分待てば食べられる」式の 信心すれば病気も即座に癒る、金も儲かるというインスタント現世利益信仰にだまされないことです。

 宗教とはそんな安易なものではありません。
人生経験を通して修行する構えをつくる ・・・ ことが肝心なのではないでしょうか。







一喝 ・・・ 日々これ好日なり 

2010-02-07 05:56:57 | Weblog
雲門和尚のことばに

  「日々これ好日なり」

          というのがあります。


ふつう

これは

  毎日が平穏無事

  快適にすぎていく

といった意味で使われていますが ・・・


いえいえ ・・・


お前たちは

  なにをウロウロと

    毎日を過ごしているのだ。

つまらんことに

  来る日も来る日もこだわってなんになる。

時は

  お前たちを待ってはくれぬぞ。

今日一日

  全身全霊をこめて頑張らずに

        いつ頑張るというのだ。


・・・ と、和尚の一喝が聞こえてくるようです。

















  この一瞬がすべてなのだ。

老老大大 33 ・・・ 非言非黙

2010-02-07 05:02:36 | Weblog
しゃべっても

しゃべらなくても

  はじめからわかっているならば

それはそれでいい

      ・・・ ではありませんか。


それだけわかっているならば

なにをしてもよい ・・・ ではありませんか。


しゃべりたいときにはしゃべり

しゃべりたくないときにはしゃべらない

ただ

それでよい ・・・ のです。


ことばに

  とらわれることはありません。

沈黙に

  とらわれることもありません。


・・・ 非言非黙。










即効性

2010-02-07 04:13:31 | Weblog
近ごろは

なんでも即効性を重んじる

     ような風潮があります。


効果があらわれてくるまでに

  日数が非常にかかるようだと

効き目がないのではないか

        と疑ってみたり

さっさと止めてしまったりします。


生活が便利になったために

耐久力ゼロの人間が

    多くなりつつあるのは

大問題だ ・・・ と 思います。


インスタントな効果ばかりを

    期待するような傾向が

精神の荒廃を

  ますます生んでいくことは避けられない

                ・・・ と 思います。