気の広場

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  日常雑感あれこれ・・・

穢れなき蓮の花 ・・・ 5.ひとり立ち

2010-10-05 06:16:06 | Weblog
貧しく きたなくあればあるほど

  そこに美しく 気高い 自立的な人生がひらける。


どん底に落ちたとて くじけるな

めぐまれているからといって 溺れるな

  ・・・ 白蓮は泥中に咲き しかもすっくとひとり立ちしている。



蓮の花には こうした深い教えがあることを ・・・

  釈尊は 私たちに気づかせ ・・・ はげましてくれるのです。





穢れなき蓮の花 ・・・ 4.環境に支配されない

2010-10-05 06:15:15 | Weblog
釈尊は 蓮の花から もう一つの発見をしました。


それは 蓮の葉の構造上の特徴です。

蓮の表面にはたくさんのうぶ毛が生えていて

  水分を跳ねよけてしまいます。

水分がついていても 濡れることがないのです。


つまり 環境に支配されない力をもっています。

泥中に咲きながらも

  悪臭にひきずり回されないのが 白蓮だったのです。



どんなきたならしい職業についていようとも

どんな貧しい生活環境に住まおうとも

蓮の葉のように ・・・

  くじけないで すくすくと伸びる人

  ・・・ その見事さを ・・・ 釈尊は感じ入ったのですね。





穢れなき蓮の花 ・・・ 3.穢 ・ 浄 一対

2010-10-05 06:14:33 | Weblog
「穢」と「浄」は 別々の縁もゆかりもない二つではありません。



  穢れがあればこそ 清浄さが輝くのです。


  人間は過失があるから 成長するのです。


  怪我をしてこそ 身をつつしみます。


  意志につまづいて ふっと我にかえります。


・・・ 一病息災 というではありませんか。



親鸞聖人は

  「煩悩の水多ければ菩提の水多し」 といわれています。


じつは 穢(けがれ)は そのまま浄らかさなのです。


浄穢は 一対なのです。



何かを一方的にきめこむ生き方 それが 人生を不幸せにします。


もうこの子はだめだ と思いこめば

  ・・・ その子は 伸びる力を失ってしまいます。


幸せの裏に不幸が顔をのぞかせていることを教えなければ

不幸になったとき

  ・・・ もう 立ち上がる気力がなくなってしまいます。



この人間のかたよりの盲点を ・・・ 釈尊はつかれたのですね。