気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

死の怖れ ・・・ 3.凝視する

2010-10-20 07:35:21 | Weblog
私たちは 耐え難い現実よりも

  喜ばしい嘘のほうを好むものです。


けれども

釈尊は 人間への同情のために

不死という神話によって 彼の知恵を曇らそうとはしません。


釈尊の目は冴えています。

幻想によって人の心を喜ばすよりも

  人間を悲劇的な運命の前にたたせ ・・・

その運命を凝視することから

  さとりへの道をあゆませようというのです。



道元は この釈尊の示した道を歩みました。

「生を明らめ死を明らめるは仏家一生の大事なり」

  ということばが ・・・ それです。


一生賭けて 生と死に立ち向かう。

死から眼をそらさぬ。

やがて死すべき自己をみつめつづける ・・・ 。


四という番号を不吉と嫌ったり

生きるために手段をえらばず叫びつづけたり

あるいは

不死を祈るような ・・・ 逃避をえらびませんでした。





死の怖れ ・・・ 2.人間は死ぬもの

2010-10-20 06:35:30 | Weblog
キリストは

死にのぞんで 彼の死後の復活を予言しました。


ギリシャの哲人 ソクラテスですら

魂だけは不死だと 懸命に証明しつつ

彼が死後行く国のことを あれこれ想像しつつ
 
  死についてゆきました。



釈尊は

そういう死後の仮説について 一言ものべていません。

ただ ・・・ 人間は死ぬものだ といいきるだけです。





死の怖れ ・・・ 1.冷徹 ・ 冷酷

2010-10-20 06:02:11 | Weblog
生きとし生けるものは みなすべて死なねばならぬ

                        (長部経典)



怖いことばです。

耳をおおいたくなるようなことばです。

できることなら 一生聞きたくないことばです。



しかし

釈尊は 残酷なまでに 冷徹にこういうのです ・・・


不死はない。

人間いや一切の生きものは死ぬ。

生ある限り死はある。


したがって

私も死ぬ お前も死ぬ

  ・・・ 彼は一切の奇跡をみとめてくれません。

冷酷です。



少なくとも

この「死」の必然に関する限り

  釈尊は 一歩もゆずろうとしません。





灯台もと暗し ・・・ 3.近きを軽んずる

2010-10-20 05:48:17 | Weblog
日蓮上人は

「近きは遠き道理 遠きは近き道理」と

  身近にいるものへの戒めを説いています。


人間はとかく 遠きを重んじ 近きを軽んずるものです。



先生や先輩だけでなく 両親や夫婦の場合も同じでしょう。


毎日父母と暮しているために そのねうちがわからない。

逆に あらさがしばかりしてしまう。

気に入るより 気にいらぬことのみ目につく。

友達に「いいご両親ね」といわれても ピンとこない。


ところが

いつの日か 父母が病気したり 亡くなったりすると

  ・・・ 改めて父母のありがたさがわかる。



世の中で立派仕事をしている夫を 月給運搬機ぐらいとしか考えず

  何かを学び取ろうとしない妻も ・・・ これと同じです。


器についたスプーンなのです。