気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

正真正銘の人間 ・・・ 3.自己を尊ぶ心

2010-10-18 06:01:02 | Weblog
どうしようもない罪障の人間に

  その自己をみつめよ ・・・ と釈尊はいう。


そして

穢れ曇った「無明の世界」にのたうつ自分を滅して

  正しき八つ道を歩め ・・・ と説く。



その「道」を疑い 信じないで

なおも罪を重ねる人間は

  たった一回の

  たったひとつの 尊い自己を粗末にし あいさないもの

  ・・・ もっともあわれむべき存在だと 釈尊はいっているのです。



心がけや 道徳工夫などでは 人間は転生できない。


動物を殺して食い

自然を破壊しても幸せを求める人間に

  そんな甘ちょろい規則など 何の力にもならない。


悪を犯し 苦にさいなまれる自己をえぐりだし 陽にさらし

  百八十度転回する道を信じてゆくほかはありません。



それこそが「自愛」であり

この自己を尊ぶ心なくして

  人を傷つけるぶざまな自分を変革することはできない

  ・・・ 仏教の本質を物語る教えです。





* 2010.10.10 上海 結婚式当日
    ・・・ クライマックス ・・・ お幸せに!!




 

正真正銘の人間 ・・・ 2.迷妄の生活者 

2010-10-18 05:33:12 | Weblog
私たちは

  修養をつめば 悪い人間にはならないと考えています。

また

  善い心がけさえもてば 殺人や盗みなどはしないだろうと

    たかをくくっています。


いわば ・・・ 自分に甘えています。



だが 釈尊は

  そんな人工的な「自戒心」など信用しません。


人間は生きていく以上

  「罪」を犯さざるをえない危険な存在であることを

  ・・・ 凝視されています。



親鸞聖人がいわれたように

まさに人間とは

  「地獄を一定のすみかとなす」 ・・・ 迷妄の生活者なのです。



罵られれば 怒り狂い

憎しみにかられれば 友をも 妻をも殺し

自分の幸せのために 嘘をつき 欺き

  嬰児を虐殺し

闇にまぎれて 婦女を犯し

金銭で 性をあがなう ・・・ それが 人間なのです。





* 2010.10.10 上海 結婚式当日
    ・・・ 開始 参加者は 140名ほどで小規模とか
           新郎新婦の入場です ・・・





正真正銘の人間 ・・・ 1.罪業の深い人間 

2010-10-18 05:32:28 | Weblog
殺(ころし)・盗(ぬすみ)・淫(みだら)・欺(あざむき)

  を犯して道を信ぜざるものは これ自らを愛せざるなり

                          (中本起経)



このことばを道徳的にうけとるならば

  ごく平凡な戒めとしか響かないと思います。


人を殺し 盗み 欺き 淫猥(いんわい)な行為におよぶことは

  「悪いこと」とされていますし 法律でも禁じています。


なにも

宗教家の手をわずらわせなくても

  あるいはすまされることかもしれません。



しかし

釈尊は そんな論理的な意味で

  この句をのべられているのではありません。


殺しや盗みなどの悪を犯す可能性をもっているのが人間であり

そうした罪業の深い人間を根本からつくりかえて

ほんとうの正真正銘の「人間」に導こうとする教えに

  耳を傾けようとしない人は ・・・

自己を愛していない 自分を粗末にしている人なのだよ。

  と ・・・

問題を私たち自身の生き方に向けて つきつけているのです。





* 2010.10.10 上海 結婚式当日
    ・・・ 定刻 されど 目下準備中
           中国的なのかな~ ・・・