自分なりに努力をしていた気がするんですよね。
反抗期も兄弟に壮絶な反抗期してる人がいたので
反抗期も中途半端な感じで家庭もいずらいし
学校でも役職を引き受けすぎたり、部活辛かったり
パーンって感じで一気に過食症になり
反抗期も兄弟に壮絶な反抗期してる人がいたので
反抗期も中途半端な感じで家庭もいずらいし
学校でも役職を引き受けすぎたり、部活辛かったり
パーンって感じで一気に過食症になり
半分不登校だった時期が
ありました。
ありました。
高校2年生~高校3年生くらい
あんまり記憶がないのですが
覚えているのは
自転車同士の衝突事故と
友人の家に居候した一週間と
京都の修学旅行と
母親に首をしめられたことです。
で、当時は誰にも言えなかったんですが
過食症のことを20代のころお付き合いした人に
あんまり記憶がないのですが
覚えているのは
自転車同士の衝突事故と
友人の家に居候した一週間と
京都の修学旅行と
母親に首をしめられたことです。
で、当時は誰にも言えなかったんですが
過食症のことを20代のころお付き合いした人に
言えてから30代のころお付き合いした人
くらいから言えるようになったんです。
で、ひょんなタイミングで
母に「むかし首絞めましたよね?」って聞いたら
「お腹を痛めた子にそんなことするはず
で、ひょんなタイミングで
母に「むかし首絞めましたよね?」って聞いたら
「お腹を痛めた子にそんなことするはず
ないじゃないですか」と返されて
「いえいえ、二段ベットで私が寝ていたときに
「いえいえ、二段ベットで私が寝ていたときに
言い合いになって『全部私が悪いって言うのー!!』
みたいに叫ばれて、その時梯子のところから
みたいに叫ばれて、その時梯子のところから
ガーっと絞められましたよ」
みたいな感じで解説したんですけど
全然覚えてないみたいです^^;
でも、今回話せて良かったな~って思ったのは
自分がされたことを覚えていない母に対して
「まぁそんなもんか」と受け入れられていることに気づいたから。
もう半世紀以上前の話だし、
ディケンズプロセスとか
自分の人格の統合とか
滝行とか絶食とか
色々やってきていたなかで
恨みつらみ
みたいな感じで解説したんですけど
全然覚えてないみたいです^^;
でも、今回話せて良かったな~って思ったのは
自分がされたことを覚えていない母に対して
「まぁそんなもんか」
もう半世紀以上前の話だし、
ディケンズプロセスとか
自分の人格の統合とか
滝行とか絶食とか
色々やってきていたなかで
恨みつらみ
みたいなものは溶けていたんだな~って。
当時はショックだったけど
傷ついた気持ちも、
自分で癒せていたことも嬉しいし
今は話せたし
自分の課題とかトラウマとかって
相手がどうこうとかは、関係ないんだな~
って
改めてしみじみ実感しています。
後半に続きます。今日はもう眠ろうかな。
長い記事を読んでくれてありがとうございました。