私は昔から家でも少しでも自分の存在の必要性をアピールしようとしていたのかも知れません。
両親は私をしっかり礼儀とかマナーとかを
躾けてくれたし、
学校も中高、短大、専門にも通わせてくれました。衣食住も整っていました。
でも母の家系は祖父母も曽祖父母も教育者で
家庭のことは一つ前の世代の家族に任せていた、社会の為にプライベートは捨てていた家系でした。
昔は今より教育や育児に関して知識もなかったし、そんな中で親は頑張って親をしてくれていたのだ と感謝しています。
ただ、欲を言えば「ありのまま私を受け入れて」と感じていたのかもしれません。
私がもっと聡明で、言語化に長けていたら
伝えられたかも知れない。
とにかく、そんな環境だったから
私は趣味の集まり場所では「社会不適合者」もしくは「エキセントリック」「びっくり箱人間」と言われていて、それに関して自覚していたので特に傷つくなどはありませんでした。
そんな自分が子どもを授かることができたからこそ、子どもたちには「無条件で受け入れて、応援する気持ちがあること」を伝えたい。
出来ているかは子どもたちが大人になってからわかるかも知れないし、わからないかも知れない。
でも、できることからできる範囲で努力はしていきたい。
知っている人に、メリットを感じてもらえるかわからない誘いをするのは本当に苦手です。
今後も付き合いがある人に、いざ参加してもらった時にどう思われるかが怖い。
1人で決めたことを自分だけで実行することは、慣れているけれど、
人を自分のお願いを打診して巻き込むのは
抵抗ありまくりです。
でも、これももしかしたら子育てに良い影響があるかも知れないし、私の殻を破る一層目かも知れないから
ちょっとずつ、ちょっとずつ、声をかけていこうと思ってやってます。たとえただの子どものお店屋さんごっこだとしても爆
仕事より勇気いるんですよねぇ。。
今日は素敵な人生の先輩に会えたので
体調とメンタルの回復を御礼とともに報告してきました。
志していることを共感してもらえるのが
こんなに嬉しいことだと知ることが出来たのは
今まで孤独を味わってきたお陰かもしれません。本当は孤独でもなんでもなかったのかもしれません。
知ってる人を自分の「やりたいこと」に巻き込む勇気はまだまだ小さい私ですが
今日は孤独ではないことも味わえたし
とにかく少しだけですが行動はできるくらいまでになって良かったです。
野心とか、世の中にこんな事したいとかという願いと結びついたら強いと思うから、
頭で繋げてやってみます。
ボランティア活動だけど、勇気は鍛えられる🤣
今度は「頑張らない」についても書いてみたいですね。
ケセラセラを聞くと涙が出るんです。ちえさんの日記も同じ風を感じます。
ケセラセラは私も歌いながら疲れてるとき泣きました笑
あと、「僕のこと」も心に沁みます。
〝あぁ なんて素敵な日だ〟
良い日も悪い日も愛しい日々ってメッセージ。ミセスさん、素晴らしいです✨