話は盛り上がってきたが誰もあの日の事を話す者はいなかった。そして校長が「さて皆さん話はつきませんがそろそろ時間です。私は先に失礼しますよ」と言って席を立った。「青木君、またお会い出来る日を楽しみにしていますよ、ではお元気で‥、先生方、子供達をお願いしますよ」と教室を出て行った。私は「えっ、校長」と追いかけようとしたが梅野が「先生」と私の手を握り締めた。吉田も佐藤も示し合わせたように席を立ち「さ、お前らも下校の時間だ、俺たちが引率するから帰るぞ」と子供達に促すと「ちぇ、もう少しいてぇな~」と青野が行った。佐藤が「残念だ、これでお別れだ青木元気でなまた会えるのを楽しみにしてるぞ」吉田も「残念だ、元気でな、ささ、ガキども行くぞ」「は~い」と教室を出て行った。と、利が戸を開け「御暑いこって」と言って吉田に「邪魔するな、すまん、じゃ‥」そして用務員さんも「梅野先生、私も最後の学校の見回をしてから行きます、青木先生お元気で‥」と出て行った。シ~ンとした教室。梅野が「先生、玄関まで送ります」何がなんだか訳が分からず困惑している私の手をつかみ席を立った。続く。
保健室は職員室からちょっと離れた所にあった。「梅野先生はいりますよ」といって中へ入った。梅野は窓を開け外を見ていた。「あの日もこんな青空でした‥」そういって振り向き「長かったですわ先生、待ちました、ずっと待っていたんですよ‥」「す、すいません‥」梅野は青木に抱きついた。青木も抱き返した。「ぼ、僕も来たかった‥、でもどうしても来れなかった‥」「もういいんです先生、こうして逢えたんですから‥」暫らく沈黙が続いた。廊下で物音がしたので二人は急いで離れ梅野は窓のところに行った。吉田が顔を出し「おい、もうそろそろいいか」「あ、ああ、今行く」と顔の汗を拭こうとポケットに手をいれた。でもハンカチはいくら探してもなかった。梅野がそれを見て「はい先生」とハンカチを差出した。それから窓を閉めた。吉田が「窓が開いていたのに汗拭きかい、あ~あ、まったく、暑い暑い、早く来いよ」といって笑いながら出て行った。「行きましょう先生」梅野に手を引かれ私達は保健室を出た。懐かしい教室の戸を開けると「お帰りなさい先生!」と子供達が大声で言った。「パチパチパチ」と拍手、校長が「よく戻られた」吉田、佐藤も「待ってたぞ!」と言った。黒板にも大きな字で「お帰りなさい」と書かれてあった。涙が溢れ出た。梅野に借りたハンカチで涙をふきふき「す、すいません、こんな私のために‥」後は声が出なかった。「さ~さ、泣いてばかりいないで今日は楽しもうぜ」と吉田が肩をたたいた。机をテーブルがわりに私が席についたところで宴会が始まった。佐藤が濁酒を注ぎに来た。「さあ、飲むぞ!」子供たちと梅野は牛乳を私はコップ一杯に濁酒をつがれた。校長の「乾杯!」で宴は始まり暫しの談笑が続いた。続く。
開きそうにもない戸を力まかせに引いた。すると、以外にもするりと開き私は勢いよく中へ転がり込んでしまった。「おい、相変わらずとドンくさい奴だな」「えっ」と起き上がり前を見てみるとなんと死んだはずの皆が要るではないか。「お帰りなさい、待っていました」「待ってたぞ」「待ってたよ、先生!」「よく戻られた」とそれぞれが声をかけてきたのである。懐かしい当時の姿のままで‥。「何をすっとんきょうな顔をしてるんだよ」「ハハハ」と笑われてしまった。「どうして皆いるんだ!」「待ってたんだよ、お前を」と吉田が言った。「そうです、待ちましたよ先生」と校長が言った。「皆、先生が戻ってこられないかと心配していました」「長かったですわ、先生」と梅野が言った。私はあれ以来ここには来ていなった。「すいません」「まま、いいでしょう、ささ、中へ」と校長が言うと皆に押されるように中へと導かれた。懐かしい職員室、当時のままである。「ささ、お座りください、今日はささやかですがお祝いの席をもうけました」「そうだよ、今日は思いっきり飲もうぜ」「お前の好きな濁酒を校長が用意してくれたんだぜ」と佐藤と吉田が言った。「あまり飲みすぎませんように‥」と梅野が言った。「おいおい、青木にだけの気遣いかい、お暑いこった」焼けちゃうな~」と二人がいうと「嫌ですよ、先生方‥」と梅野が顔を赤らめて保健室の方へと逃げていった。職員室へ青野が顔をだし「校長先生~、用意できたよ」「そうですか、今行きます。ささ、先生行きますよ、私達にはあまり時間がありません」「そうだ、いくぞ、青木」と佐藤が言うと「その前に梅野先生を迎えに行ってくれ」と吉田が言うと佐藤が「そうだった、そうだった」と言い首をすくめた。私はあまりの出来事に考える暇もなく、促されたまま梅野のいる保健室へと向かった。続く。
あまりにも無残な光景に私は夢でも見ているように近寄り惨状を見て周り呟いた。「どうしたんだよ皆、とうして倒れているんだよ‥、校長、佐藤、吉田、文恵、陽子、利、青野‥」そして子供をかばうように倒れている梅野先生をみつけた。「先生、先生‥、どうしたんですか、起きてください、起きてくれよ~」抱き起こした手には血がべっとりとつき私は狂ったように泣き叫んだ。「なんでこんな所まで‥、こんな所まで攻撃されなきゃならないんだー!」そまま私は気を失った‥。私は荒れ果てた校舎を眺めながら思い出していた。そしてこう呟いた。「帰ってきました、やっと帰ってきましたよ、梅野先生、校長、みんな‥」涙がこぼれ落ちた。すると校舎に人影が見えたような気がして私は近づいた。懐かしい玄関が私を誘い込むように「入って来いよ」と言ったのです、私にはそう聞こえたのです。私は不思議な力に導かれるようにがたついた玄関の引き戸に手をかけた‥。続く。
校長が「皆さん、空襲警報です、ささ早く防空壕へ!」佐藤と吉田は生徒達を非難させようと素早く行動した。泣きじゃくる子供を梅野が「泣かないでね、先生が守ってあげるからね」となだめながら誘導した。防空壕は校庭の脇にあった。吉田が「走れ皆、早く早く!」佐藤が遅れぎみの梅野と女の子を「ささ、早く」と手を貸す。用務員が「校長~、もう誰も残っていません~!」と校長の後ろから叫ぶ。「分かりました!」と皆が表に出て防空壕へ向かおうとしたその瞬間、一機の米戦闘機が「バリバリバリ!」と機銃掃射をした。一溜まりもなかった。皆、その場に倒れこんだ。私はその警報で目が覚めた。何事かと布団から立ち上がろうとしてよろついた。それでも這いながら玄関まで行き、何とか立ち上がって下駄を履いて表に出た。「大変だよ先生」と隣のおばさんが「学校が、学校が銃撃されたよ~」「えっ」私はふらつく足でなんとか自転車に乗り急いで学校に向かった。「無事で、無事でいてくれよ皆」そう願いながら校庭までやっと辿り着いた。そこで私が見たものは‥。続く。
あれは天皇の玉音放送の三日前の事だった。その日私は夏風邪をひき熱が高く学校を休んでいた。「先生、青木先生今日お休みか?」「おう、なんか風邪をひいたみたいだ」「ふ~ん」その時、保健室の梅野先生がちょうど通りかかり「私が帰りに寄ってみてみますから心配しないでね」と子供の頭をなでながら微笑んだ。梅野先生は綺麗な女性でマドンナ的な存在である。「えっ、俺もなんか熱がありそうなんだが‥」「えっ」と吉田先生の額に手を当てて「熱なんかありません!」と吉田は怒られた。「ちぇ、梅野先生は青木のことになると一生懸命になるのにな~」生徒達がそれを見て「あ~、吉田先生焼持ちやいてら~」「何~、ませ坊主、待て~」校長も用務員もそれを笑顔で見て「またやってるな」そんな和気あいあいの学校である。互いに独身の佐藤と吉田は「梅野先生は俺たちには見向きもせず、新任の青木の野郎にご執心かい、羨ましいこった」すると校長が「さあさあ、授業が始まりますよ」と笑いながら二人を嗜めた。その時、空襲警報のサイレンがけたたましく鳴った。続く。
私の通う職場もそろそろ終わりに近づいている。そこでこんな話を考えてみた。「回想」 そこは小高い丘にあった。勾配の緩やかな道を登っていくと見えるはずだった。でもそこはもう雑草が生い茂り誰も通わなくなった学校の建物が寂しく残っているだけだった。終戦まじかに私はこの学校に赴任した。小さな学校で職員も生徒も数えられすぐに憶えられるくらいであった。生徒も職員ともすぐに打ち解けられ充実した教員生活を送っていた。そしてあの暑い夏の日の出来事である‥。続く。