大学の授業で1年生、入学したばかりの頃に必修だったアレクサンダー・テクニーク。
英国の音楽大学では割合当たり前に必修科目になっている。
日本でも最近、教室や講座もずいぶん増えてきた。
それではアレクサンダー・テクニークとは何か?
これはきっと、一言で言い表せるなら私はきっと、教師になれる(笑)。
アレクサンダーという、アメリカの舞台俳優が、自身の声を演技によっていためてしまった事で、
体の正しい、無理のない動きをするために提唱したもの。
と、ここでは書いておく。
恥ずかしながら、そしてとても残念な事に、1年も週に一回のレッスンを受けておきながら、まだ入学したてなうえに言語力も未熟で、ちゃんと教わった内容を覚えていない。
当時の私はピアノ専攻で、大学入学前に師事し始めたニーナ・セレダ先生(ロシア人の女性。彼女が私のピアノ人生を大きく変えてくれた。これもまた書かねば。)に、
レッスンのたびに指や手、腕、体の使い方について厳しく指導されていたので、大きな相乗効果を得た覚えがある。
わたしはもともと、体のあちこちに力みがある不器用な人間で、コーディネーションも悪く、ダンスなどもへたくそ。
足も速く、跳躍力、瞬発力もあるので、決して運動神経は悪くないと思うのだが、ボールを持たされたりするとあっという間に動きがぎこちなくなるタイプ。
これでよくピアノをやっていたものだと、自分でも感心する。
右手と左手を違う動きをさせる上に、ペダルまで両足で踏まなければいけないピアノ演奏は、どう考えても私には向いていない。
音楽が好きだという理由だけで、厳しく熱心な両親があってこそ続いたものだ。
そんな私でも、体の正しい使い方を教えてもらうと、不思議と指が良く動くようになる。
体重が乗り、音も全然変わってくる。
それを体感させてくれたのが前出のニーナ先生。
そして、それを解明してくれたのが、アレクサンダー・テクニークの存在だ。
最近それを思い出し、書籍等を読みあさっている。
一番興味深いと思うのは、人間の体は、みな完璧にデザインされている、という考え方。
その証拠に、幼い子供はみな動きが自然である。
大人になる家庭で人は、体の使い方を誤る習慣を身につけ、それによって体を歪めていってしまう。
というもの。
確かに、今、例えば「正しく姿勢」とはどんなものなのか、私にはまったくわからない。
妙に肩がこるけれども、どんな動作が肩こりを引き起こしているのかもわからない。
なんだか、語学学習と似ているな、と思う。
子供の頃は自然に言葉を覚えたけれど、大人になったら文法を把握しなければしゃべれるようにはならない。
それだけ、私たちは日々の生活の中で、頭を使い、体を使い、脳を発達させてきて大人になったのだろう。
現在私は、骨の仕組みなどの絵柄を見て、体を動かしてみながら、自分の体の仕組みを勉強中だ。
英国の音楽大学では割合当たり前に必修科目になっている。
日本でも最近、教室や講座もずいぶん増えてきた。
それではアレクサンダー・テクニークとは何か?
これはきっと、一言で言い表せるなら私はきっと、教師になれる(笑)。
アレクサンダーという、アメリカの舞台俳優が、自身の声を演技によっていためてしまった事で、
体の正しい、無理のない動きをするために提唱したもの。
と、ここでは書いておく。
恥ずかしながら、そしてとても残念な事に、1年も週に一回のレッスンを受けておきながら、まだ入学したてなうえに言語力も未熟で、ちゃんと教わった内容を覚えていない。
当時の私はピアノ専攻で、大学入学前に師事し始めたニーナ・セレダ先生(ロシア人の女性。彼女が私のピアノ人生を大きく変えてくれた。これもまた書かねば。)に、
レッスンのたびに指や手、腕、体の使い方について厳しく指導されていたので、大きな相乗効果を得た覚えがある。
わたしはもともと、体のあちこちに力みがある不器用な人間で、コーディネーションも悪く、ダンスなどもへたくそ。
足も速く、跳躍力、瞬発力もあるので、決して運動神経は悪くないと思うのだが、ボールを持たされたりするとあっという間に動きがぎこちなくなるタイプ。
これでよくピアノをやっていたものだと、自分でも感心する。
右手と左手を違う動きをさせる上に、ペダルまで両足で踏まなければいけないピアノ演奏は、どう考えても私には向いていない。
音楽が好きだという理由だけで、厳しく熱心な両親があってこそ続いたものだ。
そんな私でも、体の正しい使い方を教えてもらうと、不思議と指が良く動くようになる。
体重が乗り、音も全然変わってくる。
それを体感させてくれたのが前出のニーナ先生。
そして、それを解明してくれたのが、アレクサンダー・テクニークの存在だ。
最近それを思い出し、書籍等を読みあさっている。
一番興味深いと思うのは、人間の体は、みな完璧にデザインされている、という考え方。
その証拠に、幼い子供はみな動きが自然である。
大人になる家庭で人は、体の使い方を誤る習慣を身につけ、それによって体を歪めていってしまう。
というもの。
確かに、今、例えば「正しく姿勢」とはどんなものなのか、私にはまったくわからない。
妙に肩がこるけれども、どんな動作が肩こりを引き起こしているのかもわからない。
なんだか、語学学習と似ているな、と思う。
子供の頃は自然に言葉を覚えたけれど、大人になったら文法を把握しなければしゃべれるようにはならない。
それだけ、私たちは日々の生活の中で、頭を使い、体を使い、脳を発達させてきて大人になったのだろう。
現在私は、骨の仕組みなどの絵柄を見て、体を動かしてみながら、自分の体の仕組みを勉強中だ。