なくなっちゃいましたねー

2010年09月06日 | 雑記
この駅は長野電鉄須坂線(河東線)信濃川田駅。
信濃鉄道屋代駅から真田十万石の城下町長野市松代を経由して須坂駅までの途中にある駅です。
この須坂線(河東線)は、その昔は長野電鉄の本線。
国鉄開通当時、ほんとなら松代を通るはずだった。だが養蚕が盛んな時期、鉄道が通ればカイコの餌の桑の葉に煙がかかってカイコが死んでしまうと猛反対。
やむなく国鉄は人里離れた現在の場所に長野駅を造り開通。
しかし時代ってもんは皮肉好き。鉄道がとおると松代から遠く離れた長野に物資や人が集まりだした。
これには松代もあせった。なんせ戦国の川中島の戦い以来北信の雄藩だった松代藩がカイコが死ぬ前に衰退し死んでしまう。わが町にも鉄道を!と叫んでも、国鉄開通後ですでに遅し。
しゃあない、ここはオラの手で っうことで千曲川の東側に線路を敷いた。つまり千曲川の東で河東線。
この線もはじめは良かったのよ、国鉄信越線の屋代駅から貨車が直に乗り入れて、北信群馬堺でとれる硫黄と、須坂以北の河東地区の繭を運んだ。スキー全盛時代は国鉄上野駅から直通で志賀高原の湯田中駅まで特急電車が乗り入れた。
しかし時代ってやっぱり皮肉もの。
硫黄鉱山は石油産業の発達で衰退。なんせ石油を精製する時の不要な成分、精製すればいやでもとれる。つまりタダ同然。
養蚕は安い外国製品に押され・・ 
スキーは高速道路の発達で、乗り換えなしのバス運行に。そして趣向の変化でスキー産業そのものの衰退。
いつしかとか河東鉄道株式会社は長電に吸収され支線へ。
その支線も乗客の減少で風前の灯。
赤字なんだから駅舎には金かけらず、おかげで哀愁ある駅舎が温存されたのであった。





でもこのままじゃ廃線必至。
廃線になれば駅も・・
そしてこんなトンネルも・・



みなさぁ~ん 長野電鉄須坂線(河東線)に乗りましょう。
そしてこんな味ある駅舎を残しましょう。

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