人間誰しも人生の応援歌を持っていると思う。
岐路に立った時。
落ち込んだ時。
にっちもさっちもいかぬ時。
そんな時後ろを押してくれる歌。
童謡だろうが、演歌だろうが、ポップスだろうが・・・ いや、クラッシックだってなんだって良い、とにかく人生立ち止ま時、その歌を聴いて立ち直ることのできた曲、それが人生の応援歌だ。
♪ みちに倒れて誰かの名を
♪ 呼び続けたことがありますか
ある飲み会時、飲んでる最中にこの曲が流れてきた。
と、一緒に飲んでた友人の一人が、突然大きな声で歌い出し
「これ オレの人生の応援歌。もーダメかなっうときにこの歌聴いては何度も助けられましたわ」
と。
そう、今日の扉絵の中島みゆきさんの『わかれうた』である。
この歌が彼の人生の応援歌だったのである。
彼が家業継ぐべく修行中のことだった。店を切り盛りしてた父が急逝し、彼が店を継ぐことになり急遽修業先から家に入ることとなった。
しかし学校出たばかりの修行中の身、右も左もなにもかもわからない。
このまま勤めるか、店を継ぐか・・・ 大いに悩んだそうである。
そんな時彼が好きで聴いてたのがこの曲であったという。
この歌には随分助けられたと言った。
結局彼は店を継いだのだが、彼の継いだ店は町の小さなスーパーだった。
継いで何年もしないうちに大型店舗が盛んに郊外へ進出する様な時代になり、彼の店の近くにも中央の大型スーパーが進出し、おのずと客足は大型スーパーへと。
客を奪われ、その上に始まった市の下水工事。
悪い事に彼ので店の前の道路が下水の幹線路になってしまい、工事も大掛かり、掘ったり埋めたりの二年間、たとえ片側交互通行でも客足は遠のく。
赤字が嵩み、親父の代から続いた店を閉じようか否かで悩んだ。
そしてこの時も中島みゆきさんの曲を聴いて助けられたという。まっ、この時の歌は『ファイト』だったそうだ。
結局最終的には店を閉め、調理師の腕を見込まれて中堅の水産卸業社に勤めたのだが
「いやー あの時 中島さんの歌が無ければ、今オレここにいなかったかもね、『わかれうた』は僕の人生の応援歌です」と笑っていた。
人生の応援歌・・・
そんな歌が私にはあるのだろうか
あればなんだろう?
世知辛い世の中、なにか人生の応援歌が欲しいなと
中島みゆきさんを描きながらそんなことがフッと思った。
岐路に立った時。
落ち込んだ時。
にっちもさっちもいかぬ時。
そんな時後ろを押してくれる歌。
童謡だろうが、演歌だろうが、ポップスだろうが・・・ いや、クラッシックだってなんだって良い、とにかく人生立ち止ま時、その歌を聴いて立ち直ることのできた曲、それが人生の応援歌だ。
♪ みちに倒れて誰かの名を
♪ 呼び続けたことがありますか
ある飲み会時、飲んでる最中にこの曲が流れてきた。
と、一緒に飲んでた友人の一人が、突然大きな声で歌い出し
「これ オレの人生の応援歌。もーダメかなっうときにこの歌聴いては何度も助けられましたわ」
と。
そう、今日の扉絵の中島みゆきさんの『わかれうた』である。
この歌が彼の人生の応援歌だったのである。
彼が家業継ぐべく修行中のことだった。店を切り盛りしてた父が急逝し、彼が店を継ぐことになり急遽修業先から家に入ることとなった。
しかし学校出たばかりの修行中の身、右も左もなにもかもわからない。
このまま勤めるか、店を継ぐか・・・ 大いに悩んだそうである。
そんな時彼が好きで聴いてたのがこの曲であったという。
この歌には随分助けられたと言った。
結局彼は店を継いだのだが、彼の継いだ店は町の小さなスーパーだった。
継いで何年もしないうちに大型店舗が盛んに郊外へ進出する様な時代になり、彼の店の近くにも中央の大型スーパーが進出し、おのずと客足は大型スーパーへと。
客を奪われ、その上に始まった市の下水工事。
悪い事に彼ので店の前の道路が下水の幹線路になってしまい、工事も大掛かり、掘ったり埋めたりの二年間、たとえ片側交互通行でも客足は遠のく。
赤字が嵩み、親父の代から続いた店を閉じようか否かで悩んだ。
そしてこの時も中島みゆきさんの曲を聴いて助けられたという。まっ、この時の歌は『ファイト』だったそうだ。
結局最終的には店を閉め、調理師の腕を見込まれて中堅の水産卸業社に勤めたのだが
「いやー あの時 中島さんの歌が無ければ、今オレここにいなかったかもね、『わかれうた』は僕の人生の応援歌です」と笑っていた。
人生の応援歌・・・
そんな歌が私にはあるのだろうか
あればなんだろう?
世知辛い世の中、なにか人生の応援歌が欲しいなと
中島みゆきさんを描きながらそんなことがフッと思った。
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