七代将軍家継公は、宝永六(1709)年の生まれで、先代の文昭院殿の第4子で母は左京の局(月光院)でしたが、家宣正室の天英院が養育しました。正徳二(1712)年十月に父が急逝したため、後を継いだが幼年(満三歳)であり、先代の臣下であった側用人 間辺詮房と新井白石が幕政を補佐したため、将軍の権威が弱体化したことは否めませんでした。さらに七代家継公は正徳六(1716)年四月に急逝してしまいました。その後 . . . 本文を読む
六代将軍家宣公は、父が甲府宰相とよばれた徳川綱重(家綱、綱吉と兄弟)になります。五代将軍綱吉公に嗣子がなかったので、綱吉公の兄の子として世子になりました。綱吉公が麻疹で亡くなった宝永六(1709)年に将軍になりましたが、正徳二(1712)年十月に病で亡くなられました。宝永四(1707)年に富士山の大噴火の復興の途中であり、将軍の在職期間は約四年と短かったですが、新井白石を重用し、生類憐みの令を直ぐ . . . 本文を読む