最近、自分を認められるようになって、
いろいろと活動しようと思っている私だけれど、
別のブログを立ち上げたら、
同じような思いをしている子育てママの他に、
昔の自分と同じ思いをしている人たちにも
気づいて欲しいな~という思いがすごく強いことに気づいた。
存在価値がないと思う自分、
何のために生きてるのかという自分、
不安でたまらない自分、
孤独感の塊のような自分、
目の前が闇だったあの頃。
何度、自分を消し去りたいと思ったことか。
不安で不安で、仕事ばかりに一生懸命だった日々、
心身症の薬漬けだったあの頃。
今はあの頃のようにはならないと思えるけれど、
あの時の気持ちは昨日のことのように覚えている。
これから自分を表現するために、
また仙台ハートケアカウンセリングFAITH.の
心理学講座を受講することにしました。
第一回目から揺れに揺れる私。
「自分の行動に責任を持つ」という話で、
子どもには、保護者がいる。
子どもの時は、
「自分のやりたい事をするには、保護者の許可が必要」
ということを講師であるsatokoさんに言われた。
親の抑圧が強くて選択の余地がなかった過去の記憶。
そこに結びついてしまった私は、インナーがズウズする。
今、保護者の元にいる若者が、私と同じ気持ちでいる時、
自分の気持ちに気づいたところで、親に理解してもらえなければ、
すごい葛藤してしまうのでは?と思ってしまったのです。
さらに、私が質問をした際に、
その経験が「私にとって必要だった」と言われたことが、
とても心に残っていて、だとしたら、
私のやろうとしてることってお節介なのかなぁと。
でもね、いろいろ心を整理してみたら、
これもまた私の思い込みからくるところがあったんです。
抑圧されても、言わないでいることを選んだのは自分。
もし、あの当時、自分にやりたい!と思う強い気持ちがあったら、
説得するなり、反対されても行動するなり、
私なりにできることがあったはず。
それを考えると、私はやらないで父に従うことを自分で選んでいたんだな。
だからね、結果的には、
気づいてもらいたいっていう気持ちは良いことだし、
そのために私が発信することも間違ってないと思うことができました。
う~ん、うまく表現することができない。
文章にすると、なんか軽~い感じになっちゃうのね。
文章にするって難しいなぁとつくづく思います。
いろいろと活動しようと思っている私だけれど、
別のブログを立ち上げたら、
同じような思いをしている子育てママの他に、
昔の自分と同じ思いをしている人たちにも
気づいて欲しいな~という思いがすごく強いことに気づいた。
存在価値がないと思う自分、
何のために生きてるのかという自分、
不安でたまらない自分、
孤独感の塊のような自分、
目の前が闇だったあの頃。
何度、自分を消し去りたいと思ったことか。
不安で不安で、仕事ばかりに一生懸命だった日々、
心身症の薬漬けだったあの頃。
今はあの頃のようにはならないと思えるけれど、
あの時の気持ちは昨日のことのように覚えている。
これから自分を表現するために、
また仙台ハートケアカウンセリングFAITH.の
心理学講座を受講することにしました。
第一回目から揺れに揺れる私。
「自分の行動に責任を持つ」という話で、
子どもには、保護者がいる。
子どもの時は、
「自分のやりたい事をするには、保護者の許可が必要」
ということを講師であるsatokoさんに言われた。
親の抑圧が強くて選択の余地がなかった過去の記憶。
そこに結びついてしまった私は、インナーがズウズする。
今、保護者の元にいる若者が、私と同じ気持ちでいる時、
自分の気持ちに気づいたところで、親に理解してもらえなければ、
すごい葛藤してしまうのでは?と思ってしまったのです。
さらに、私が質問をした際に、
その経験が「私にとって必要だった」と言われたことが、
とても心に残っていて、だとしたら、
私のやろうとしてることってお節介なのかなぁと。
でもね、いろいろ心を整理してみたら、
これもまた私の思い込みからくるところがあったんです。
抑圧されても、言わないでいることを選んだのは自分。
もし、あの当時、自分にやりたい!と思う強い気持ちがあったら、
説得するなり、反対されても行動するなり、
私なりにできることがあったはず。
それを考えると、私はやらないで父に従うことを自分で選んでいたんだな。
だからね、結果的には、
気づいてもらいたいっていう気持ちは良いことだし、
そのために私が発信することも間違ってないと思うことができました。
う~ん、うまく表現することができない。
文章にすると、なんか軽~い感じになっちゃうのね。
文章にするって難しいなぁとつくづく思います。