イスラエル旅行記

旅行記が完成したので、あとは普通に。、

114.園の墓のドア

2006年11月07日 | Weblog
【写真:墓のドアに書かれている言葉】
HE IS NOT HERE FOR HE IS RISEN

 ドアは小さ目で、こげ茶色のペンキが塗られており、よく見ると英語が書かれてあります。

「ここにですね、イエスは甦って、もうここにはいない、という意味の言葉が書いてあります。甦ったイエスは、ここからガリラヤに行きましたね。そして、すでに見学したあのペテロ召命教会、あの場所で、再び弟子たちと食卓についたわけです」

 一瞬、ぐいと込み上げるものが体中を走り、目頭が熱くなって、すっかり肉親のお墓参りの気分です。これもみな、全身全霊をもって主の業を伝える倉田さんや峯崎さん、そして添乗員の皆さんの、御霊のなせる業だと涙をこらえて感謝しました。
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113.イエスの墓

2006年11月07日 | Weblog
【写真:園の墓】
この日はたくさんの旅行客で賑わった。

 
 「園の墓」と書かれた小さな入り口を入ると、真っ直ぐ売店に通じており、その裏口を抜けると、木々に囲まれた美しい庭がありました。知らずに歩くと、ここがゲッセマネの園かと思うほどです。庭の小道を真っ直ぐ進んで、まず、しゃれこうべの形をした岩石を見学しました。小高い丘になっています。

「1967年にですね、エルサレムの住民が、骨のいっぱい詰まった、赤い十字架の洞窟を発見しました。もうひとつのゴルゴダと言われている場所ですね。よく見てください。あの辺がしゃれこうべの形に見えませんか」
「ふむ、ふむ」
「向こう側のふもとの方に、イエス・キリストの墓と言われているものがありますので、これからそちらへご案内します」

 別の小路を入り口の方へ戻りますと、巡礼者のミサのために設けられたのでしょうか、ベンチが多数置いてありました。お墓を見下ろす位置に、腰かけながら説明を聞き、階段を下りたところにあるお墓の前で、さらに説明を受けます。

「ここはですね、1883年に、ゴードンというイギリスの軍人さんが、イエス・キリストの墓だと指摘した場所です。日本ではみな、地面を垂直に掘って埋葬しましたので、墓といえばそれを連想しがちですけれども、イスラエルの第二神殿時代、つまりイエス・キリストの時代はですね、金持ちの墓は、岩を真横にくり抜いて造られました。聖書には、このように記されています。

『岩を掘って造った新しい墓に納め、そして墓の入り口に大きい石をころがしておいて、かえった』と。(マタイ27:60)
 ご覧下さい。それを裏づけるように、ここに溝があって、大きな円盤状の石をころがして、ふさいだような跡がありますね」

「これを管理しているのは、どこの宗派ですか」

「プロテスタント派が管理しています。園の墓という名前はですね、イエス・キリストが十字架にかけられた所には、一つの園があって、そこにはまだ、だれも葬られたことのない新しい墓があったという、聖書の言葉から名づけられたと言われています。(ヨハネ19:41)
 後でゴルゴダに行けばですね、皆さんも感じられると思いますが、こちらの方が、より聖書の雰囲気を現しています。それではですね、どうぞ中へ入ってご覧下さい」
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