イスラエル旅行記

旅行記が完成したので、あとは普通に。、

65.試練という人生の荒野 A

2006年09月26日 | Weblog
 【写真:荒野の中の緑】

 ロトの妻に別れを告げ、紅海方面に向います。しばらくすると荒野の中に一握りの緑が見えました。メロン畑です。昨年の峯崎ガイドさんの案内が思い出されます。

「イスラエルではね、あらゆる方法で、荒野を緑にする研究が行われています。今はいろんな物が作れるようになりました。ピーマンなんかね、りんごくらいもある大きいものなんですよ。
 余談ですけど、昨年ちょっと帰国した時ですね、実は近くのスーパーでイスラエルのピーマンを見つけたんですよ。あの荒野で作られたピーマンが、こ~んな所までやってきたのかと思ったら感動してしまいましてね。一個500円でしたけど、愛しくなっちゃって思わず買ってしまいました。野菜も果物も、荒野で作られたものは甘味があって、普通のものより美味しいと言われています。いろんな悪条件の中で育つわけですからね」
 みなうなずいています。
「人間も同じではないでしょうか。試練という人生の荒野を幾つも乗り越えてきた人は、ひと味違いますよね。このように、イスラエルの人たちは、自然から多くの教訓を得て生活してきました」

 流れるように過ぎた一握りのメロン畑と、果てしなく続く荒野。こんな中でさりげなく教えを説くガイドさんの言葉に、強烈な御霊を感じながら、食い入るように荒野を見つめ続けました。

 モルモン書には、リーハイが家族を連れてエルサレムから紅海に近い荒野に出発したと書かれています。紀元前600年のことでした。リーハイとは、エジプトに売られたあのヨセフの子孫です。(1ニーファイ5:14)
 私たちも今、紅海の近くの荒野を走っています。想像を絶する世界にいます。いくら神の導きとは言え、こんな所に連れ出されて不平を言わない人がいるでしょうか。見渡す限り、見事に何もない。水も草も、身を寄せる木陰もありません。ただあるのは、赤茶けた、あるいは粉をふいたような大地と、カンカン照りの太陽だけ。

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