古事記の神話には、建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)という有名な神が登場しますが、この神は誕生後、父親の伊耶那岐命(いざなぎのみこと)から命じられた仕事をせず、泣いてばかりだったため、青々とした山の木は枯れ、海河は乾き、以下のような状態になってしまったそうです。(『古事記』(藤村作:編、至文堂:1929年刊)より)
原文
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読み
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是以惡神之音 | ここをもてあらぶるかみのおとなひ |
如狹蠅皆滿 | さばへなすみなみち |
萬物之妖悉發 | よろづのもののわざはひことごとにおこりき |
これを直訳すると、〈このため悪神(荒ぶる神)の音(声)「さばへ」の如きものが残らず満ち、万物の災いがことごとく起こった〉となりますが、「さばへ」に狹蠅という漢字を当てたため、古来この部分は蠅の羽音だと解釈されていました。
しかし、言語学者の松岡静雄氏は、蠅の羽音では荒ぶる神が発する声の形容としてふさわしくないことを指摘し、日本では強い南風(はえ)が吹くことから、「さ」は接頭語、語尾の「え」と「へ」は相通で、「さばへ」は南風のことであろうと推測しています。(『日本言語学』より)
確かに、『大日本国語辞典』には、「はえ」が南風を意味する中国・西国(九州)・琉球(沖縄)の方言、「をしゃばへ」が東南の風を意味する西国の方言であると書かれていますから、「さばへ」が南風を意味すると考えることは妥当だと思われます。
【「はえ」と「をしゃばへ」】(上田万年・松井簡治:著『大日本国語辞典』より)
ちなみに、「をしゃばへ」の意味を推測すると、「を」は小川(をがわ)の「を」と同じで小さいという意味、「しゃ」は、例えば「おいでなさい」を福岡弁で「きんしゃい」と言うように、「さ」の方言なので、小さな「さばへ」、すなわち「さばへ」より一段弱い風のことだと考えられます。
ところで、南風を意味する古語にはもう一つ「ををつ」という言葉がありますが、「をを」は雄々しい、「つ」は風の古語「ち」が転じたものと考えれば、「ををつ」は雄々しい風という意味になりますから、これも南風の形容としてふさわしいと言えるでしょう。
【「ををつ」と「ををし」および「ち」】(上田万年・松井簡治:著『大日本国語辞典』より)
次回も、古代の日本語をご紹介します。
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