NHKは本日12月4日『
【詳しく】韓国で一時「非常戒厳」 野党は大統領弾劾議案提出』を配信している。非常戒厳の趣旨ついて、「「布告令」は「韓国の内部に暗躍している反国家勢力による体制転覆の脅威から、自由民主主義や国民の安全を守るため」 ・・・だということだ。体制転覆って?、革命でも起きたのか?と思わせる言い方だ。それほどの危機意識を持っているとしたら、それは朝鮮戦争終結の危機以外にないのでは、とも思わせる。
トランプ政権が視野に入った現在、その“危機”(極東のデタント)は極めて現実性を帯びてきているからだ。とりあえずはNATO向けの発言程度(「負担をしない国は守らない!」)で口を濁していはいるが、極東も同然であることは当然言を俟たないだろう。
当ブログでは2023年8月16日に韓国大統領の朝鮮戦争終結に対する危機感についてレポートしている。ここに参考までに再録してみよう。
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2023年8月15日、日本経済新聞から「韓国大統領、北朝鮮抑止に「日本の後方基地重要」」とする日本の安全保障を考えるうえで非常に重要な記事が配信された。
「……
【ソウル=甲原潤之介】韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は15日の演説で、北朝鮮の韓国への侵攻を抑止するための日本の役割に言及した。日本に置かれる国連軍の後方基地が「北朝鮮の侵攻を遮断する最大の抑止要因だ」と強調し、日本との安全保障協力の重要性を訴えた。
韓国は15日を日本の植民地からの解放記念日と位置づけ「光復節」と呼ぶ。尹氏は独立運動を「自由民主主義国家をつくるための建国運動」と定義した。
……』
そうである。この記事にあるように韓国政府は同国の安全保障の根本は「日本に置かれる国連軍の後方基地が北朝鮮の侵攻を遮断する最大の抑止要因」としたのは、昭和29(1954)年2月19日に日本と朝鮮派遣軍のうちオーストラリア,カナダ,フランス,イタリア,ニュージーランド,フィリピン,南アフリカ,タイ,トルコ,イギリス,アメリカと締結した「日本国における国際連合の軍隊の地位に関する協定」(国連軍地位協定)のことである。そして国連軍後方司令部は、平成19(2007)年11月2日にキャンプ座間から日本の国権である航空管制権が及ばない横田飛行場へ移転している。
韓国政府は、日本がこの協定を朝鮮派遣国と締結しているころからこそ、1951年9月に日本がサンフランシスコ平和条約を締結後においても朝鮮国連軍が日本国に駐留できたことで、北朝鮮軍と対峙することが可能となっていることを公式に認めたのだ。その国連軍地位協定には「第二十四条で「すべての国際連合の軍隊は、すべての国際連合の軍隊が朝鮮から撤退していなければならない日の後九十日以内に日本国から撤退しなければならない」という規定がある。したがって「朝鮮戦争終戦」になると、麻生太郎がいう「有志国」は解体し、朝鮮半島と日本からアメリカを主体とした国連派遣軍は完全に撤退することになる。その時、韓国政府は朝鮮半島に取り残されたうえ後方支援基地も解体することから北朝鮮軍と内戦を続けることは事実上不可能なのだ。したがって現在の韓国政府が存続できるのは、一重に「朝鮮戦争を休戦」のままとし日本が有志国と締結した国連軍地位協定を継続させる以外に方法はないのだ。
2018(平成30年)年6月12日にシンガポールでアメリカのドナルド・トランプ大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長及び国務委員会委員長による史上初の首脳会談が行われ「朝鮮戦争終戦に向けた協議を開始すると宣言した」ということが、いかに衝撃的な出来事であったのか察しが付くと云うものである。
ところで、アメリカ軍撤退が朝鮮半島から撤退することに関して、韓国政府が慌てふためいた事例が他にもある。
1972(昭和47)年2月27日、リチャード・ニクソン大統領(当時)は訪中の際にアメリカ合衆国と中華人民共和国との間に上海コミュニケを発表し「one china policy」を確認した。ニクソンは、この方針に従いアメリカ軍を削減することを韓国政府に通達した。この通告に、朴正煕大統領は、国家存続にかかわる重大事であったことから強い危機感を抱いた。そこで韓国政府は、朝鮮半島に駐留する残存勢力を維持することと、米軍撤退の代償とされた韓国軍近代化援助を確実なものとするためアメリカ国内で議会工作に乗り出すことにした。この時、アメリカ政界工作の一翼を担ったのが統一教会教祖「文鮮明」であった。
1976(昭和51)年に韓国政府によるアメリカ政界工作が発覚して政治スキャンダルとなってしまった。アメリカ合衆国下院は、事件の真相を調査するためにフレーザー委員会を設置し調査をおこない、纏めたものが「フレーザー委員会報告書」なのである。この報告書の中で、統一教会の犯罪性が暴露されることになった。
この回の終わりに、第二次世界大戦後において「極東のデタント」を俯瞰してみる。すると、実に興味深い共通点があることが見えてくる。
51年前の1972(昭和47)年2月27日、ニクソン大統領は「上海コミュニケ」という形で「極東のデタント」を」実現し、それから48年後の2018(平成30年)年6月12日にトランプ大統領は金正恩と「朝鮮戦争終結」で合意した。
共に、シンボルマークが象のアメリカ共和党である。そして、二人の大統領のその後であるが、ニクソン大統領は「ウォーターゲート事件」で辞任に追い込まれ、トランプ大統領は、民主主義を覆そうとしたとして「2021年アメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件」で訴追されている。
また両事件ともに、CIAと司法が一体となって有無を云わさずに弾劾裁判にかけられているのである。その訴追場所が「コロンビア特別区連邦地方裁判所」(United States District Court for the District of Columbia)である。
どうもアメリカ政治では、デタント政策を実施する共和党大統領は、その政治生命を奪われるという運命にあるようだ。
(尚、朝鮮派遣軍については、
また、航空管制権については、
そしてアメリカ軍の削減に付いては、
で報告済みである。是非、併せて参照願いたい。)(クリックで遷移)。
P.S.
小日向白朗の遺品として残されている写真の雑感を述べておく。
筆者が以前に小日向白朗の写真を眺めていたときのことである。ふと目に留めた小日向白郎が晩年に撮影した写真には、襟に「象」のバッチが付いていたことを思いだしてしまった。やはり小日向白朗がキッシンジャーの要請で渡米したのはアメリカ共和党が推し進める「極東のデタント」に協力することだったのだと感心したものである。
さらに、他の写真を見ているうちに「アレ」と思う不思議な写真があった。
それは、小日向白朗が若かりし頃「中国阿片」を一手に取り仕切っている時の記念写真であった。小日向は自信満々で写っていた。
一瞬、小首をかしげてしまった。
たしか、小日向白朗は、終戦後、着の身着のままで中国から帰国したはずである。
筆者は、何の疑いもなく念のためと、写真の裏側を確認した。そこには小日向白朗の文字で「F氏からの寄贈」と書き込まれていた。そして思ったことは、小日向白朗に対してもニクソン同様「極東のデタント」に協力する者としてCIAの監視の眼が光っていたのだなと、これも亦得心した次第であった。
以上(寄稿:近藤雄三)
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