昨日、2月22日に東松山市下唐子の都幾川沿いにある丸木美術館を覗いてきた。原爆の図で知られているあの美術館である。私は数10年前一度来ていたはずであるがその時の記憶はほとんどなかった。そして今回改めて丸木位里・俊の絵画を見てきた。
肉体のリアリズム。生々しくその肉体をさらけ出しているおとことおんな、そして母に抱かれた赤ちゃん。一面黒い、そして、毒々しく赤い。原爆の図第2部「火」の前に立った私は、体の下の方から頭の方へ突き抜けていく息苦しさを感じた。何の感動もなく思念も叙情もないのにもかかわらず、目から涙があふれ出た。これは、なんだ。生命の横溢を,若い男と女の肉欲さえも思わせるその生々しさの上に漂う幽気、生きたまま焼けただれていく肌の露出を誰かがあざ笑っているように感じた。これが、核のリアリズムだ。残念なのは、このリアルな景色をキリストもお釈迦様もマホメットも見てはいないことだ。いや、ひょっとしたらヤハウェの神は時空を超えて広島の空を目撃していたのかもしれない…自らの仕掛けた結果としての景色を。
核廃絶は単なる理想主義の戯言に過ぎない。かつて知性の勝利に驕り高ぶり禁断のバベルの塔を築いてしまった人間は、爾来、いまもってなお壮絶な神の嫉妬に悶絶しなければならない運命にある。核とは、そんなものの一つだ。そんな時は来るのだろうか。核の一つ、二つが破裂して小さな地球に 生息するあらゆる生命を絶滅させてしまう時が。米国、ロシア、中国、イギリス、フランス辺りはまあ大丈夫だろうが、インド、パキスタンに北朝鮮、そして、イスラエル…とくると、果たしてひ弱な人類の知性とやらが持ちこたえることができるのか。(文責:吉田)
(丸木美術館のチラシと、原爆の図「火」をプリントした入場券)