伊藤博文公は明治42年10月26日哈爾濱駅に降り立った後、暗殺された。露国大蔵大臣のココフツェフ氏と「世界のその後を分ける会談」が行われる予定であったが、まぼろしの会談となってしまった。その意味は極めて重いが、犯人とされる安重根はもちろん、裏に隠れたままの真犯人もその意味するところに思いが至らなかったと言わざるを得ない。写真は、哈爾濱駅に降り立ちココフツェフ氏と挨拶をしようとしている伊藤公、犯行日の哈爾濱駅ホーム、旅順駅より獄舎へ移される安重根(2枚)、刑死前の安重根、安重根の家族写真。これらは当学会が預かっている大野芳氏の取材資料の中にあるものである。
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