公民・歴史教科書問題を中心に教育問題を考えていくブログ

恐るべき公民教育の問題を中心に扱っています。かなりの割合で小山常実氏のブログ(特に教科書資料)や著書を参考にしています。

【公民教育再生】家族論と国家論の復活を!【常識派の自由社・育鵬社、中間派の帝国書院、非常識な多数派教科書(東京書籍・日本文教出版・教育出版)】

2023-06-13 00:20:52 | 恐るべき公民教育

今の公民教科書には、家族とは何か、国家とは何かといった家族論や国家論が全く展開されていません。国家も家族も多数派教科書では単語だけで、何の説明もされていません。

しかし、国家にも家族にも、その起源があって、その起源に基づく基本的な役割があり、その役割を果たすために現実の諸機能が存在します。

日本国家の公民を育成する教科書ならば、当然、国家論や家族論を展開することが必要でしょう。

今回は、公民教科書における国家論と家族論について見ていきたいと思います。

●日本国憲法『第9条』擁護のために犠牲にされた国家論

戦後の公民教科書では、日本国憲法第9条について「全ての戦争を放棄し、全ての軍隊と戦力を保持できない」とする極端(きょくたん)な解釈を通すために、「日本はアジアを侵略した」という捏造物語(ねつぞうものがたり)により、生徒の贖罪意識(しょくざいいしき)にうったえてきました。

しかし、それだけでは、国家論を学ぶことで国家の役割の一つである防衛を否定する憲法9条に疑問が出てしまいます。そこで、戦後の公民教科書は、国家論を放棄し、国家の役割の一つである防衛を全く教えないようにしてきました。

そもそも、占領期には「国家」という言葉自体が禁句であり続けました。

国家には、決まった範囲の領土(りょうど)があって、その周りに領海(りょうかい)を持ち、それらの上に領空(りょうくう)を持ちます。これが国家の領域(りょういき)です。

領域の中にはそこで生活する人々がいて、この人々が国家を運営する主体となります。これが国民(こくみん)です。

国家が、領域や国民を支配する権利を、統治権(とうちけん)といい、これが対外的に独立(どくりつ)し、どの国の干渉も受けないようになると、国家主権(しゅけん)となり、主権を持つ主権国家独立国)となります。

この主権領域国民国家の三要素(こっかのさんようそ)です領域や国民がなければ、国家が成立しないのは分かるでしょう。では、主権はどうでしょうか。

主権を持たない国家は、どこかの国に属するか、他国の影響を強く受ける傀儡国家(かいらいこっか)になるしか、選択肢がありません。このような場合、当然、現地の国民の意思や利益が尊重されるわけがなく、現代の国家は、この主権を持ち、かつ独立し、主権と独立を守ることが重要なのです。

このような現代の国家は、対外的には軍事力を使用した防衛(ぼうえい)により、その主権と独立を保ち、対内的には公共の秩序を維持し、国民の安全を守るとともに、インフラの整備や教育など公共事業への投資(こうきょうじぎょうへのとうし)により、国民の生活の向上を図り、国民の自由と権利(こくみんのじゆうとけんり)を守ることが重要な役割だと考えられています。

このような役割を担うのが、国会や、内閣、裁判所などの国の機関です。例えば、防衛省や自衛隊は、このうちの防衛を担っています。警察は国内の秩序の維持を担っています。裁判所は、国内の秩序の維持と国民の自由と権利を守る役割を担っています。

国家は、これらの役割を限られた時間で果たすために、できるかぎり合意に努めます。これが政治です。ただし、限られた時間で対立を解消しきれず、合意に達しない場合は、権力による強制も避けられません。この権力が、政治権力です。

政治権力は、一見すると、国家による一方的な強制力のようにも見えますが、実は国民がその政治権力を承認しているから成立しているのです。国民の承認がない政治権力は、歴史上いくつか存在してきましたが、例外なく、その国家は消滅しています。国民の承認がなければ、政治権力を維持することは不可能なのです。

現在でも、このような国家論を展開していると見なせる教科書は、自由社の「新しい公民教科書」のみです。育鵬社も、国家論については完全に放棄しています。※一応、国際編にそれらしきものがわずかに記されていますが、国家論になっていません。

新しい公民教科書では、国家の成立が外敵からの防衛の必要性によるものであったと記した上で、国家の役割として、外敵(外国)からの「防衛」(ぼうえい)、インフラなどの「社会資本の整備」(しゃかいしほんのせいび)、警察などの「法秩序・社会秩序の維持」(ほうちつじょ・しゃかいちつじょのいじ)、「国民一人ひとりの権利保障」(こくみんひとりひとりのけんりのほしょう)を挙げています。また、国家論の一つとして政治権力論も展開していて、政治権力の必要性を記しています。

さらに、自由社は、日本国憲法第9条について、いわゆる芦田修正を踏まえた、「第1項で侵略戦争を放棄し、第2項で第1項の目的(侵略戦争の放棄)を達するため、侵略戦争のための軍隊と戦力を保持しない」という解釈があることを書きました(複数の解釈をまとめている)。ようやく、憲法9条について、まともな解釈が公民教科書に載りました。

もっとも、政治権力の必要性については「つくる会効果」で今回の版から全社が記すようになりました。40年以上前から、頑(かたく)なに政治権力の必要性を認めてこなかった東京書籍もついに観念したようです。東京書籍の反国家・反権力思想が一つ崩れたことを象徴する出来事でした。

なお、歴史の方では満州事変と日中戦争などが含まれるページに「世界恐慌と日本の中国侵略」などと呆れるような節名をつけて対中隷属史観を発揮しているのが東京書籍です。※対中政策全般の方針を決めた南京大虐殺(1937年に起きたとされる日本軍による「南京事件」のことではない。)、満州事変の原因の一つとなった南京大暴虐、日中戦争を拡大させた通州大虐殺について知れば「呆れるような」の意味が分かります。

それでも、多くの教科書が、本来なら国家論も合わせて置かれるべき政治編の冒頭に政治権力の必要性を記すのに対して、東京書籍は、政治編の後の方で政治権力の必要性を記しています。やはり、できれば政治権力の必要性を記したくないというのが本心なのでしょう。

国家論の欠如は、いろいろなところで日本をおかしくさせていいます。自虐史観があっても、国家論と国際法の感覚があれば、韓国の謝罪要求や賠償要求は全て不当だと言い切ることができます。

サンフランシスコ講和条約で解決済みなので、当然です。国際法は絶対です。一度「解決済み」となれば、後に何があろうと解決済みです。それが国際社会の常識です。

国家論が放棄が影響したのかも知れませんが、経済学では第一の公共財(公共サービス)と位置付けられる国防が、戦後の公民教科書では、公共財が書かれることはあっても、そこに国防が明記されることはありませんでした。

国防がしっかり機能していなければ、国家に安全はありません。戦争中の国家に経済など存在しません。だからこそ、国防をしっかり機能させることが経済の要(かなめ)であり、国防は第一の公共財なのです。

それどころか、警察(治安維持)さえも公共財として認めない教科書が常に一定数存在し続けていたという現実があります。

それが、現在では「つくる会効果」により、前回から全社が警察を公共財として認めるようになりました。しかし、現在でも国防を公共財として認めるのは、自由社、帝国書院と教育出版の三社だけです。

育鵬社は、「教科書改善」を掲げておきながら、東京書籍などの多数派教科書と同じく、国防を公共財として認めていないのです。

●学習指導要領に抹殺された家族論

国家論と異なり、家族論についてはどうでしょうか。

家族は、男女の愛と尊敬から始まる集団の中で最も小さな共同体(きょうどうたい)であり、団らんの中で安らぎを得るなど、いこいの場としての性格を有するとともに、子を生み、愛情や道徳を教えながら育てるなど、人間形成の場としての性格を有し、ともに生活することで、信じ合い、助け合いながら家族の絆(きずな)を深め、祖父母から父母、父母から子という縦のつながりをもつ唯一の集団である。

このような家族論には、昭和40年代までは30ページ以上当てられるほどだった。

それが、昭和52年に学習指導要領が改訂されて学習指導要領上から家族のための特別な単元がなくなると、一気に文量が減り、4ページほどに減少した。

教育基本法改正直後の平成20年の改訂では、ついに「家族」という言葉そのものが学習指導要領から姿を消し、東京書籍・教育出版・日本文教出版など多数派教科書で、家族に関する内容は1ページ未満となった。家族論といえるものはわずか4~10行程度にまで減少した。

それでも、前回まで自由社が2単元4ページ、育鵬社と帝国書院が1単元2ページの構成で家族論を展開していた。

ところが、今回ではついに帝国書院が家族論を放棄し、わずか8行程度にまとめてしまった。ただ、これでも、帝国書院は、家族について「最も基礎的な社会集団」と位置づけるし、家族の役割についても多少なりとも触れている。「社会集団」などとして「社会の基礎集団」とさえ記さない多数派教科書に比べれば随分マシだ。

ちなみに、育鵬社は、前回の版まで「最も身近な共同体」としていたが、今回の版では「基礎的な社会集団」とするのみになった。帝国書院ほどではないが、姿勢が後退している。

一方、自由社は、2単元4ページという構成を維持し、「家族が共同体であること」、「家族間の愛情を育む場であること」、「子供を保護し教育する場であること」、「祖先から子孫への縦のつながり」等を記している。

家族論については、2単元4ページでしっかり記述する自由社、1単元2ページで最低限度の記述はする育鵬社、最低限度の記述さえしないが多数派よりはマシな帝国書院、最低限度の記述さえせず、しかも「基礎的な社会集団」とさえしない非常識な多数派教科書(東京書籍・日本文教出版・教育出版)に分けられるだろう。

家族論と国家論の復活が、公民教科書には必要だ。

家族論も、国家論も展開されなくなった公民教科書に問題意識を感じた方は、ぜひ教科書会社に抗議してほしい。一人でも多くの抗議が集まれば、変えることができるはずである。また、学習指導要領に「家族」を復活させるよう文科省に求めてほしい。

文部科学省に関する御意見・お問合せ窓口案内:文部科学省

※従来(平成10年版まで)は中学校学習指導要領の「内容」のところに「家族や地域社会などの機能を扱い」とあったが、現在は「内容」の部分の構成自体が刷新されているため、内容の取り扱いで「(2)のアの(イ)の「人間は本来社会的存在であること」については,家族や地域社会の機能などを取り扱うこと。」と明記するよう求めてほしい。

【東京書籍】 お問い合わせ 内容についてのご質問・ご意見箱:個人情報の取扱いについて

利用規約 - 教育出版

お問い合わせフォーム|お問い合わせ|日本文教出版

※東京書籍と教育出版と日本文教出版は、当然のように家族論と国家論を全く記さないし、家族について「基礎的な社会集団」とさえしない。問題だらけの公民教科書である。なお、教育出版については利用規約に同意すれば問い合わせできる。

教科書の内容や指導書・Webサポート・QRコンテンツについて|株式会社帝国書院

※もともと国家論を記してこなかったので、国家論という点では東京書籍や教育出版、日本文教出版と大きく変わらない。しかし、家族論については今回の版からひどく改悪された。1単元2ページという構成だったものが、わずか8行程度となり、家族の役割についてほとんど記さなくなった。それでも「最も基礎的な社会集団」と位置付ける。

お問い合わせ | 育鵬社

※国家論と呼べるものは記していないが、一応、国際社会編でそれらしきものはある。評価できるかは微妙である。家族論については、帝国書院ほどではないにせよ、「最も身近な共同体」としていたものが、「基礎的な社会集団」とするのみになってしまい、姿勢が後退した。

お問い合わせ|新しい歴史教科書をつくる会

※「新しい歴史教科書をつくる会」は自由社の執筆者である。この会自体は営利団体ではないが、自由社のホームページに問い合わせホームがなかったので、これを貼っておく。自由社は、国家論について、国家の成立から国家の役割、政治権力の必要性という流れで記すし、家族論についても当然のように記す。最も評価できる教科書だ。

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