今日の亡国の危機は深刻です。特に教育が最も深刻な状態であり、一刻も早い再生が望まれます。しかしながら、欠陥教育が既に70年以上続いており、まともな教育が行われてこなったために、道徳の教科化などの効果が著しく低くなる事態となっていいます。学校で道徳を教えても、家庭・社会によって総崩れとなるといったことが頻発しています。この状況を打開するためには、親学基本法などを制定し、親学の振興に努めるとともに、社会全体の規範を示す「国民実践要領」を告示(内閣告示か文部科学省告示で)する必要があると思います。さらに、教育基本法改正後には、「公務心得」、「職務心得」、「国民心得」などの基本的な道徳を定める法律を制定する必要があると考えます。国民実践要領(旧国民実践要領案(現代社会の問題が見えてくるのでぜひ調べて)に独自の変更を加え、現代に対応させたもの(告示))と国民心得(国民実践要領の要旨を要約し、国民実践要領に格別の根拠を与えるもの(法律))の案を以下に掲載する。なお、国民心得については、国民実践要領が文部科学省告示となることを前提としている。
国民実践要領
前文
我が国は、今や第四次技術革命によって、人類が人工知能によって、支配されそうになっている状況に際して、未だに国家としての道義を確立させて来ず、ここに来てようやく道義を再建し、自主的な我が国の再生に向けた歩み始めるべき時期に際会した。しかるに国家独立の根源は国民における自主独立の精神にあり、その自主独立の精神は、国民によって立つべき道義の確立をまって初めて発現する。道義が確立しない限り、いかなる国の国民も独立独行の気魄を欠き、その国家は必ずや内部から壊敗し衰滅する運命をもつ。
われわれは新たに国家再建に向って出発するにあたって、建設へのたゆまざる意欲を奮い起すとともに、敗戦による精神の虚脱と道義の廃頽とを克服し、心を合わせて道義の確立と国家の再生に努めねばならないのである。
道義を確立する根本は、まずわれわれのひとりびとりが自己の自主独立である人格の尊厳にめざめ、利己心を越えて公明正大なる大道を歩み、かくして内に自らの立つところをもつ人間となることに存する。また他の人格の尊厳をたっとび、私心を脱して互いに敬愛し、かくして深い和の精神に貫かれた家庭、社会、国家を形成することに存する。自主独立の精神と和の精神とは、道義の精神の両面である。
我々の国家は、公明正大なる精神に生きることを宣言し、いずれの国家も、公明正大なる精神に生きなければならないと信ずる。それによって国家は、他の何ものにも依存しない独立の精神と気魄をもって、新しい建設の道を進み、世界の文化に寄与しうる価値をもった独自の文化の形成に向かうことができる。自国のアイデンティティーをもつことは、他へ影響されない強い世界づくりへの近道となり、自国のアイデンティティーを否定する者は、これ即ち売国奴である。我々は、自国のアイデンティティーをもち、豊かで寛大な心によって、世界を受け入れつつ、国間の利益を重視して真理と正義に基づき、自尊的にならなければならない。しかし、これは独善的であってはならず、しかし自虐的であってはならない難しいところである。しかし、我々日本人、日本民族は、この崇高な理想を成し遂げ、自尊心をもち、健全な自尊的価値観に基づき、他国や自国だけの利害に囚われず、常に真理と正義を希求し、和を重んじ、大義に生きることが必要である。このためには、日本人一人一人が、自己のアイデンティティーをもち、自国の伝統や文化を誇りに想い、真に公共性を備えて、大義に生きなければならない。
我々は、大臣その他の公務員等を問わず、全ての日本人が日本を復活させ、国民道義を取り戻し、和を重んずる日本民族の誇りと伝統文化を再建して、国家を再生するため、この実践要領以下に示すところに従い、生涯を過ごすことを強く願うものである。
第一章 人
一 人間の尊厳
人が人であるための尊厳とは、意思を持って、生きることにある。我々いや全人類は、他人の意思を奪ってはならないのであり、自由な人格は、その基礎にある。
我々は、全人類の規範となるため、人間の尊厳を尊ぶべきであり、全ての人間は、自己並びに他人の人格の尊厳を自覚し、他人を意思を傷つけたり、他人の意思を奪って、何らかの行動を強要するなどあってはならない。このような行動は、国民道徳に反する利己主義である。
二 自由な思想
我々は、真に自由な思想を持たなければならない。自由な思想とは、常に疑いの心をもって、ものを鵜呑みにしない精神をもつことである。真に情報リテラシーを備えたものは、多様に変化するデジタル社会に適した人材である。
しかし、自由な思想によって、他者を無視し、己の思うがままに事を進めようとしてはならない。そのようなことをする者は、他者へ依存を強め、やがて自己不信と憎悪に満ちた心へなり、自滅する。無論国家がそうであってはならない。そうならないためには、人間や人格の尊厳を重んじ、常に前向きに思想を持ち続け、かつ現実から離れないようにすることが大切となる。
三 責任
我々は、自由と権利の行使には、責任が伴うことを自覚しなければならない。真に自由な人は責任を重んずる人である。責任とは、行為に対する意識であり、その行為に対し、補償を行う義務でもある。自由と権利、責任と義務は、表裏の関係である。
責任が伴うことを自覚しなければ、やがて自由を濫用し、自己不信に充ちた心となり、憎悪や憎しみばかりを想像ようになり、自滅する。責任は、全ての自由と権利に共通して付くものであり、無論上下関係において、上の者が責任が負うことは、上の者が一般的に下の者を監督する権利と義務、自由を有するからである。
四 義務
義務というのは、権利に伴う代償である。責任が自由と権利に行使に対する補償であって、義務というのは、その補償の義務と国家が自由と権利を行使させられる環境を作ったことに関する義務である。これは、御恩と奉公の関係といえる。
義務を履行しなければ、現代国家において自由や権利は、保障されない。これが現代国家の原則であり、国際社会共通の原理である。
五 愛
我々は、暖かい愛の心を失ってはならない。愛の心は、人間性の中核である。
我々が互いに他人の欠点を許し、その個性を生かし、時には甘えるなどして、人間として生きていくことは、愛の力である。大きな愛の心は罪を憎んで人を憎まない。
六 良心
我々は、常に惡魔の囁きに乗ることなく、天使の声たる良心に耳を傾け、惡の支配に服さず、たとえそれらの実行するためんに不利不幸を招こうとも、真実を守り、正直な人は、いずれ世の光となる。
七 正義
我々は、不義不正を退け、正義に基づき、私利私欲の考えを捨てて、公明正大でなけばならず、常に公共の利益を追求しなければならない、国益を追求することも、亦公共の利益となる。
八 勇気
我々は、真実を守り、正しいことを行い、公明正大な精神でいくという崇高な理想を実現し、惡魔の囁きを排除し、私利私欲の考えを捨てるには、どのろうな妨害にも屈してない強くて頑丈な勇気をもたなければならない。
血気の勇は、かえって事を誤り、真の勇気ではならない。しかし、その実行に当っては、思慮の深さと誘惑に負けない強い心がなければならない。暴勇は、真の勇気ではなく、公共の精神に反するが、意気込みは、強く持たなければならない。
九 忍耐
我々は、困苦の間にあっても、あくまで道義を操守し、惡魔の囁きに乗らぬ忍耐を持たなければならない。
人の心は、弱いものであり、困難や苦痛にあえば自暴自棄に陥りやすく、自滅しやすいけれども、その暗い逆境に耐え、愛情を持ち続け、正義の道を踏んで大義に生きることこそ、人の世の光であり、こうして大義に生きるものは、周りから愛される。
十 節度
身体と精神とが健全に形成され、人間が全人的に調和ある発展をするためには節度が必要である。
己に勝ち、節度を失わないところにこそ、人間本来の強さが現れる。節度を破った生涯は、一見強そうに見えることもあるが、実は弱さのしるしであり、満足する人生を送ることはできない。
十一 純潔
我々は、清らかなものに対する感受性を失わないように心がけなればならない。清らかなものに対する感受性は、道徳生活の源である。心情は、純粋に、行為は清廉に、身体は、清潔に保つことで、真に人間的な生活を営むことができる。これらを失ったものは、一見無敵の強さを誇るように見えることもあるが、実は裏でどんどん弱体化して生き、自滅してしまう。
十二 廉恥
我々は、恥を知らなければならない。恥を知るということは、不純で汚れたものを厭うことである。恥を知る人は、偽善や厚顔無恥に陥ることなく慎みの心を失わず、誠実に生きることができ、逆に恥を知らない人は、偽善や厚顔無恥に陷り、人からそれを罵られても平気な顔で生き続ける残念な人となる。
十三 謙虚
我々は、常に他人に対し、謙虚な気持ちで接し、傲慢に陥ってはならない。自らの至らないことを自覚し、他人の短所に対しては寛容であり、他人の長所を受け入れるということによってのみ、人間相互の交わりは正しく保たれる。しかし、自らの至らないことを自覚して、自虐的に陥ってならない。そのようなものは、自覚できても対処ができない正に残念な人となる。
十四 思慮
事をするに当っては思慮の深さが必要である。
我々は現実の事態を見極め、かつ広い視野を持たなければならない。一時の感情や欲望にとらわれて事態を正しく認識することがなければ、多くの事を誤り、不健全な失敗を犯し、それが責任ある地位にいるならば、多くの人から糾弾される。遠き虞がなければ必ず近い憂いがある。ただし、思慮は断行する勇気を伴わなければならない。思慮が深いことは優柔不断と別である。
十五 自省
我々は、常に自己を省みるに努めなければならない。
汝自身を知れという教えは道徳の根本的な要素である。自分自身を知ることは、自分の無知を知ることから始まる。知らざるを知るはこれ知れることである。
十六 知恵と教養
我々は、人生の基本的な事柄について、深く豊かな知恵を養わなければならない。知恵豊かにして深い人は、順境におごらず逆境に屈せず、人生を愛し、安んじて立つところをもつ。
知恵をもつことは、幅広い教養を見つけることができ、その教養は、マナーやルールへの態度で生かされる。正しい知恵と教養をもつ者は、マナーやルールを守り、そのルールに問題があるときは、自ら自主的に問題を提起し、思考を続ける。知恵と教養、思考は、一心同体である。
十七 敬虔
我々の人格と人間性は、永遠絶対のものに対する敬虔な宗教的心情によって一層深められる。宗教心とは、宗教的情操をいい、これらのものを通じて人間は人生の最後の段階を自覚し、揺るぎ無き安心を与えられる。人格の自由も人間相互の愛もかくして初めて全くされる。古来人類の歴史において人の人たる道が明らかになり、良心と愛の精神が保たれてきたことは、神を愛し、仏に帰依し、天をあがめた人達などの存在なくしては考えられない。そうした宗教心は、伝統とつながる。伝統と宗教心は、両者とも歴史的に形成されたものであり、宗教的心情を深めることは、伝統を継承することとなる。
第二章 家
一 和合
家庭は、人生の自然に根ざした生命関係であるとともに、人格と人格とが結びついた人倫関係である。それゆえ、その縦の軸をなす親子の間柄においても、横の軸をなす夫婦の間柄においても、自然の愛情と人格的な尊敬がともに含まれている。
二 夫婦
夫婦は、互いに愛によって一体となり、貞節によってその愛を守り尊敬によってその愛を高め、かくして互いに生涯の良き伴侶でありたい。
夫婦の愛は人性の自然から咲き出た美しい花である。しかしその愛は倦怠に襲われやすい。その試練に耐えて愛を永続させるものは、貞節と尊敬である。
三 親子
我々は親としては慈愛をもって子に対し、立派な人格となるように育成しなければならない。また子としては敬愛をもって親に対し孝養をつくさなければならない。
子は次の新しい時代を創造し且つ荷なうべき者であるから、その若芽を健やかに伸ばすことは親の喜ばしい義務である。新しい時代の創造はすでになしとげられた成果を正しく継承することによってなされるから、子は親を敬重するのが尊い義務である。
四 兄弟姉妹
兄弟姉妹は、互いに尊重し、それぞれ個性ある人間になるように助け合わねばならない。
兄弟姉妹は正しい社会の正しい人間関係の原型である。兄弟姉妹は生涯を通じて良き協力者とならねばならない。兄弟姉妹のいない子でも、その原型や協力者的存在は、いとこやはとこなどによる。
五 しつけ
家庭は最も身近な人間教育の場所であり、人生最初の教育を受ける場でもある。
我々が親あるいは子として、夫あるいは妻として、また兄弟姉妹として、それぞれの務めを、責任の自覚とともに、愛と誠をもって果すことにより、一家の和楽と秩序が生じてくる。そうすることを通じて、各自の人格はおのずから形成され、陶冶される。それゆえ家庭のしつけは健全な社会生活の基礎である。
六 家と家
家庭は自家の利害のみを事とせず、常に公共の精神をもち、社会への奉仕に励むべきである。家と家とのなごやかな交わりは公共の中にある社会の美しいつながりである。
第三章 社会
一 公徳心
人間は、社会的生物である。人間は、社会を作ることによってのみ生存することができるが、人間の社会性は、出生から生まれない。人間の社会性は、教育によって培われる。
社会生活をささえる力となるものは公徳心である。我々はこの公徳心を養い、互いに助け合って他に迷惑を及ぼさず、社会の規律を重んじなければならない。
二 相互扶助
互いに助け合うことは、他人の身を思いやる暖かい親切な心を本とする。
人々がただ自己の利害のみに走り他を損なって顧みないならば、社会は悪と不幸に陥り、そのわざわいはやがて加重して自己の身にも返って来る。互い助け合い、常の公共のことを顧みることができる者は、幸福を味わうことができる。
三 規律
社会生活が正しく、また楽しく営まれるためには、社会は、規律を欠くことはできない。
個人が各自ほしいまま振る舞い、社会の規律を乱すならば、社会を混乱に陥れ、自他の生活を不安にし、自己の身には差別と苦痛が待っている。
四 嗜みと礼儀
社会生活の品位は各自が礼儀を守り、嗜みを失わないことによって高められる。それが良俗である。
嗜みと礼儀は、もし魂を失ない、外形だけになれば、かえって虚飾や虚偽となる。しかしそのゆえに嗜みや礼儀を軽んずるのも正しくない。人間の共同生活が野卑に流れず、美しい調和を保つのは、嗜みと礼儀による。
五 性道徳
両性の間の関係は厳粛な事柄である。われわれはそれを清純で品位あるものたらしめなければならない。性道徳の乱れることは社会の廃頽の大きな原因である。
六 世論
社会の健全な進展は正しい世論の力による。
われわれは独断に陥ることなく、世の人々の語るところにすなおに耳を傾けねばならない。しかし正しい世論は単なる附和雷同からは生まれない。われわれはそれぞれ自らの信ずるところに忠実であり、世の風潮に対してみだりに迎合しない節操ある精神と、軽々しく追随しない批判力とをもつことが必要である。正しい世論は人々が和して同じないところに生まれ、世論の堕落は同じて和しないところに起る。
七 共同福祉
社会のつながりは、それぞれ異なった分野に働く者が社会全体の共同福祉を重んずるところに成り立つ。
身分や階級の相違からさまざまな弊害や利害の衝突が生ずるとしても、それらの弊害や利害の衝突は全体としての社会の意志を表現するところの法に従って解決さるべきである。社会全体の福祉をそこない、社会自身に亀裂を生ぜしめるまでに至るべきではない。すべての人間関係は和をもって尊しとする。
八 勤勉
われわれは勤労を尊びその習慣を身につけ各自の務めに勤勉であることによって、社会の物質的、精神的財を増大しなければならない。
勤勉は社会を活気あるものにする。特に資源乏しきわが国の社会においては、われわれが勤勉であり、節倹のうちにも物を生かして使い、怠惰と奢侈に陥らないように自戒する必要がある。これは、古き良き我が国の伝統である。
九 健全な常識
社会が絶えず生き生きと進展するためには、古い陋習を改めることが必要である。しかしまたいたずらに新奇に走り軽々しく流行を追うべきではない。健全なる社会は健全なる常識によって保たれる。
われわれはややもすれば旧習にとらわれて創造の意気を失なうか、さもなければ一時の風潮に眩惑されて着実な建設の努力を忘れやすい。伝統は創造を通してのみ正しく保たれ、改新は伝統を踏まえてのみ実効あるものとなる。
一〇 社会の使命
社会の指名は高い文化を実現するところにある。われわれは文化を専重し、それを身につけ、力を合わせてその発展に努めねばならない。
社会の文化は人間を教養し形成する力をもつ、文化が軽んぜられるとき、社会は未開へ逆行する。しかしまた文化が人間の精神を高める力を失って単に享楽的となるとき、社会は頽廃に陥る。
第四章 国家
一 国家
われわれはわれわれの国家のゆるぎなき存続を保ち、その犯すべからざる独立を護り、その清き繁栄と高き文化の確立に寄与しなければならない。
人間は国家生活において、同一の土地に生まれ、同一のことばを語り、同一の血のつながりを形成し、同一の歴史と文化の伝統のうちに生きているものである国家はわれわれの存在の母胎であり、倫理的、文化的な共同生活・・402 体である。それゆえ、もし国家の自由と独立が犯されれば、われわれの自由と独立も失なわれ、われわれの文化もその基盤を失なうこととならざるをえない。
二 国家と個人
国家生活は個人が国家のためにつくし国家が個人のためにつくすところに成り立つ。ゆえに国家は個人の人格や幸福を軽んずべきではなく、個人は国家を愛する心を失ってはならない。
国家は個人が利益のために寄り集まってできた組織ではない。国家は個人のためのしゅだんとみなされてはならない。しかし国家は個人を没却した全体でもない。個人は国家のための手段とみなされてはならない。そこに国家と個人の倫理がある。
三 伝統と創造
国家が健全なる発展をとげるのは、国民が強靭な精神的結合を保ち、その結合からはつらつたる生命力がわき起こってくることによってである。国民の精神的結合が強固なものであるためには、われわれは国の歴史と文化の伝統の上に、しっかりと立脚しなければならない。また国民の生命力が創造的であるためには、われわれは広く世界に向って目を開き、常に他の長所を取り入れねばならない。
伝統にとらわれ独善に陥れば、かえって闊達なる進取の気象をはばみ、国家に害を及ぼす。また自らを忘れて他の模倣追随をのみ事とすれば、自主独立の精神を弱め、ひとしく国家に害を及ぼす。
四 国家の文化
国家はその固有なる民族文化の発展を通じて、独立の価値と個性を発揮しなければならない。その個性は排他的な狭いものであってはならず、その民族文化は世界文化の一環たるにふさわしいものでなければならない。
五 国家の道義
国家の活動は古今に通じ東西にわたって行われる人類普遍の道義に基づかねばならない。それによって国家は、内には自らの尊厳を保ち外には他への国際信義を全くする。
六 愛国心
国家の盛衰興亡は国民における愛国心の有無にかかる。
われわれは祖先から国を伝え受け、子孫へそれを手渡して行くものとして国を危からしめない責任をもつ。国を愛する者は、その責任を満たして、国を盛んならしめ、且つ世界人類に貢献するところの多き国家たらしめるものである。真の愛国心は人類愛と一致する。
七 国家と政治
国家は一部特定の党派、身分、階級の利益のための手段とみなされてはならない。われわれは常に国家が国民全体のための国家であることを忘れるべきではない。
それぞれ特殊な立場の人は、その独自の見解にあくまで忠実であるべきである。しかしその際、自己の立場も自己に対立する立場も、ひとしくともに国家の全体に立脚せることを自覚し、相互の自由と平等を認め理解と寛容の上に立って同胞愛を失わず、且つ私利私欲に流れることなく、公明正大に意見をたたかわすべきである。
八 天皇
われわれは独自の国柄として天皇をいただき、天皇は国民的統合の象徴である。それゆえわれわれは天皇を親愛し、国柄を尊ばねばならない。
世界のすべての国家はそれぞれに固有な国柄をもつ。わが国の国柄の特長は、長き歴史を一貫して天皇をいただき来たところに存している。したがって天皇の特異な位置は専制的な政治権力に基づかず、天皇への親愛は盲目的な信仰やしいられた隷属とは別である。
九 人類の平和と文化
われわれは世界の人類の平和と文化に貢献することをもって国家の使命としなければならない。
国家や民族は単に自己の利益のみを追求したり、自分の立場のみを主張したりする時、世界の平和を乱し人類の文化を脅かす。しかもまたわれわれが世界人類に寄与しうるのは自国の政治や文化を正しく育てることによってのみである。世界人類を思うの故に、国民民族の基盤から遊離したり、国家や民族を思うあまり、世界人類を忘れることはともに真実の道ではない。
国民心得
(目的)
第一条 この法律は、国家の基礎としての国民の心得をについて定め、もって国民道徳の基礎を完成させ、国民道義を振興し、国家が国家であるための基本を維持することを目的とする。
(基本心得)
第二条 日本国民は、自らがその国政に対して負う責任を自覚し、日本民族の伝統を継承する責任を全うし、日本的な信義に従い誠実にその責務を全うしなければならず、自らその自由な思想は、国民道徳及び国民道義の下に成立することを自覚し、歴史的価値観に基づく正しい歴史を大切にし、決して自虐的にならず、常に自尊的であり続け、また、これは傲慢であってはならず、和を重んずる高度な日本民族の伝統的な道義に基づき、その行動はなされるものであり、全ての主義及び主張は、この基本的な国民道徳及び国民道義の下に成立する。
(責任の自覚)
第三条 日本国民は、権利には、責任及び義務が伴うことを自覚し、公共の利益のために使用しなければならず、その行使は、日本的な信義に従い誠実に行わなければ、認められない。
2 日本国民は、自由には、責任及び義務が伴うことを自覚し、厳格な意識の下、誠実にこれを使用しなければならず、その自由を行使するに当っては、なるべくその行動を慎み、その行使以上に公共の利益に奉仕するという精神に下に実施されなければならない。
(国防の義務)
第四条 日本国民は、国を守ることが己の命を守り、公共に奉仕することができ、国の存亡に関わる最大の責任であることを自覚し、常に国を守る使命を自覚するとともに、積極的に国防に関わる事柄に参画し、主体的にその意見を表明しなければならない。これは、愛国心に通ずる。
(愛国心)
第五条 日本国民は、愛国心の有無が国家の存亡に関わることを自覚し、常に我が国を愛し、国のためには、国民のために、国民のためには、国のために、という基本的な国家原理を理解するとともに、その愛国心の達成に努めなければならない。
(謙虚)
第六条 日本民族は、歴史上非常に謙虚な民族である。この民族を未来永劫続かせるためには、日本国民は、日本民族としての存在を自覚し、伝統を継承し、次世代の育成に貢献するよう努めなければならず、常に謙虚な心を持ち、他者を尊重しなければならない。これは伝統である「和」に通ずる。
(議員等への適用)
第七条 この法律における日本国民としての心得は、国務大臣、国会議員及び裁判官その他のいかなる役職を問わず、日本国民である者に対して適用される。
(国民実践要領等の制定)
第八条 この法律に規定するもののほか、国民の心得及び国民が実践すべき徳目は、文部科学大臣が定める。
附 則
1 この法律は、公布の日から施行する。
2 国民実践要領は、本則第七条第一項の規定に基づき定められたものとする。
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