昭和20年8月15日、忘れられない日です。
抜けるような青空の日、暑くてもさっぱりしたお天気でした。
天皇陛下の大事な放送があるというので、近所のお宅に集まりました。
我が家のラジオは良く聞こえないので、近所のお宅に同じような
人達が集まりました。
みんな畏まって聞きました。ラジオの音がはっきりしませんでしたが
大変なことが起きるような気がしました。私7歳でした。
お言葉が終わって大人達は泣いていました。お母さんに抱っこされていた
赤ちゃんもお母さんが泣いているので一緒に泣いていました。
家に帰り、もう空襲がなくなるらしいと分かりました。
母は父にこれ以上空襲が続いたら、気が狂ったかも知れないと言いました。
父はうなずいたきり何も言いませんでした。
それからが別の戦いが始まりました。
食量難です。両親は大変だったと思います。でもなんとか85歳まで
生きてこられたのは両親のお陰だと感謝しています。
盆棚に果物、そうめんを供えてご先祖様、両親、舅姑、夫
ニューギニアサンサポールで果てた兄、
中学生で、教練の最中高熱を出して、それが原因で病死した
夫の兄、を思いあらためて冥福を祈っています。
あ~いまはみんな我が家に来てくださっているのでした。
賑やかで有り難いお盆です。