続々強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

防災の日

2023-09-01 16:34:29 | 辛い事

両親は関東大震災を生き延びました。

東京大空襲も。空襲は私も知っていますが、

関東大震災のことは、両親から聞いた事がありませんでした。

深川にいて、清澄庭園で命拾いしたらしい。

それよりも戦争中の苦労、長男の戦死、

戦後の食料難のことが大変だったんでしょう。

もっと聞いておけば良かったと思います。

震災後の世の中の不安によって、社会主義者、朝鮮人、

普通の人達が犠牲になりました。

吉村昭さんの 関東大震災 を何度も読み返しました。

警察、村長が押し切られるような、自警団の力の

凄さが分かります。

刑務所では刑務官の手に負えなくて軍が出動したとか、

これも震災のための心の不安から来たのでしょうか。

もしかして、煽動した人間もいたのかも知れません。

吉村昭さんは冷静に書いていらっしゃいます。

余計人間の心理の怖さが分かります。

最近福田村の事件を扱った映画が話題になっています。

再びこのような事が起きないよう、祈ります。

 

ちびちゃん大きな子がいないので元気に動いていました。

 

 

 

 

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原爆のこと

2023-08-08 16:30:10 | 辛い事

東京大空襲で焼け出された我が家は、少し離れた隣町の家に

引っ越しました。リヤカーに家財を乗せて、兎に角何処かに

と言う父の判断だったのでしょう。商売が成り立たないから

地方には行けなかったようです。焼け残った家も、連日空襲

でした。あるとき凄い爆弾が落ちて沢山の人が死んだ。と

父が聞いてきました。白い布を被れば爆弾から逃れられると

言いましたが、焼け出された我が家には白い布は手ぬぐいぐらいだ。

と母が言っていました。爆弾より私は艦載機が怖かったです。

姉のご主人は、衛生兵でした。終戦になって復員しましたが、すぐに

呼び戻されて、沢山のお金を貰い、ご両親に渡して秘密の任務に行きました。

着いたところが広島で、沢山の被災した人の治療をしたそうです。

多分放射能に汚染されたでしょう。でも姉と結婚して二人の子にも恵まれて

幸せな人でした。息子が無事復員して、すぐにまた重要な任務に行く。その時の

御両親の気持ちはどのようなものだったでしょう。

我が家は長兄は、ニューギニアで戦死。次兄は横須賀から帰ってきました。

義兄も、兄達も命をかけて国のために頑張りました。

戦争は辛い事でした。お国のために命をかけた若者が沢山いたことに

感謝します。

あるとき夕涼みで縁台の座っていた父達に、見かけぬ男が来て、戦争の話をして、

戦死した人を、犬死にと言ったそうです。父達は怒って後を追いかけましたが、

素早く消えたそうです。あいつはああやって戻ってきたんだな、こん畜生~

とみんなで悔しがったそうです。

戦災で亡くなった方、戦死した方々、原爆で一瞬にして亡くなった方々、

幸せだった土地が戦場になってなくなった方々。

遙か南溟の果てでまだお骨も戻ってこない兵士達の、ご冥福を祈ります。

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哀しい日でした。

2023-07-09 15:28:39 | 辛い事

もう一年経ってしまったのですね。

哀しくて辛い出来事でした。

朝からウグイスが元気な声で30分も鳴いていました。

何だろうこの時期にと思っていました。

それから大変な事件が起きました。もうなんて言ったら

いいのか、夢を見ているような思いでした。

TVではしたり顔の人間が、悲しむより分析ばかりしていました。

腹立たしくてTVに向かって怒鳴っていました。

奥さまや、お母さまのお気持ちも考えず。

国葬がどうのこうの、亡くなった方を思うより、喜んで

いる輩の顔を張り倒したくなりました。

そんなことを考えたら安倍晋三様は悲しむでしょう。

でも癪に障ってしょうがない私です。

どうぞ霊界で私たちを見守ってください。

後を継ぐ若者が成長しますよう願っています。

あらためてご冥福をお祈りいたします。

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安倍晋三元総理のこと

2023-03-20 18:35:10 | 辛い事

読みたい本を並べてどうしても読めない、いまの私です。

少し読むと悲しくて胸がつまりそうです。

HANAD3の 櫻井よしこ慟哭の30枚、光に満ちた悲劇

安部晋三とヤマトタケルを読んで涙が溢れました。

日本武尊と安部晋三元総理が重なりました。

もっともっと生きて日本国を見守って欲しかったです。

暗殺犯を英雄視する輩を軽蔑します。

もしかして日本国民ではないのかも知れません。

 

平成16年4月17日 桜を見る会に招待されて新宿新宿御苑に

行きました。良いお天気に恵まれて、すぐ近くに小泉総理と

安倍さんが歩いていらっしゃいました。

小泉さんより、安倍さん頼みますよ~の声が多かったように思います。

夫は小泉さん嫉妬するな~なんて言っていました。

あの時の安倍晋三元総理の笑顔が忘れられません。

笑顔が優しかった。

小泉さんもお若かった。

 

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石巻の想い出

2023-03-11 16:58:49 | 辛い事

2001年に次男は石巻に住んでいました。職場は女川でした。

2番目の孫は体格が良く生まれたのに風邪を引きやすく、

何回も石巻に手伝いに行きました。夫はまたか~と言いましたが

仕方がないでしょッ孫なんだから、と言って出掛けました。

仙台まで新幹線仙台から仙石線に乗って石巻まで。

石巻まではのんびりした風景で、松島海岸を見ながら、

の旅です。途中高校生や、中学生らしい若者が賑やかで

楽しい会話を聞きながら、途中蛇田という駅についてすぐに

石巻です。駅ビルで沢山の買い物をして、マンションに

荷物を下ろして、病院に上の孫を迎えに行きます。

次の日は朝ご飯を食べさせて上の子を病院まで連れて私が病気の孫を見て

ママが上の子と家に帰り、お風呂に入っていました。

息子は仕事が忙しく遅い帰宅で三回ぐらい私は通いました。

運転手さんに一度公園を日和山公園を案内して貰いました。

赤ちゃんももう少ししたら、丈夫になりますよ、と

励まされました。優しい言葉がうれしかったです。

2001年秋に息子が内陸に転勤になりました。

そこで3番目の子が生まれて中学生、小学生、幼稚園になり

大きな地震に遭いました。

親切な、運転手さん、マンションのお隣さんはどうなさったかしら

あの楽しそうにお喋りしていた学生さん達は?

美味しい穴子の天ぷらやさん。

息子一家は内陸でもひどい揺れで大変でしたが、津浪の被害には

遭いませんでした。後片付けが大変だったようです。

日和山公園も沢山の人が避難して助かったとか。

石巻を思うと胸が苦しくなります。

 

 

 

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