11月3日、文化の日、私にとっては明治節です。
姉たちが唄っていた、明治節の歌を私も所々覚えて
唄いました。ふるきあめつちとざせるきり~い。なんて
唄いました。
いまは文化の日です。
夫の長兄は11月3日に生まれました。昭和3年でした。
その頃は家毎に日の丸が立てられたそうです。
義兄は幼い頃自分の誕生日だからみんなが日の丸を立てて
くれたのだと思ったそうです。可愛いですね。
義兄は中学の軍事教練で倒れて入院して、いまでいう熱中症
だったのでしょうか。大学病院で。17歳で亡くなりました。
軍国少年だったので、敗戦を知らずになくなって良かったと
夫は言っていました。半狂乱の母を見て、自分は絶対生きる。
気持ちでいたそうです。
私も何回も聞かされた話で、その場にいたような気がしています。
義兄のことをみんなMちゃんと呼んでいました。
今朝仏壇の写真を見て、Mちゃんお誕生日おめでとう。
と言いました。いま生きていたら95歳になります。
仏壇の脇にMちゃんの描いた教育勅語を額装して飾ってあります。
義父が手帖の間に挟んでありました。
昔の紙で質が良くありませんでしたが、プロが綺麗にしてくれました。
夫は下手くそな字だな~と言っていましたが、
じっと見ていました。
明治節の歌を、私は知りません。時代の違いですね。息子たちが「仰げば尊し」を知らないのと似ています。
日本が少しずつ、別の国になっているような気がいたします。
私の支援する郷土紙の千葉日報は、文化の日を明治節と考えず、憲法公布の日と考え「反戦記事」を家に届けています。
こうしてマスコミが、少しずつ日本を別の国にしているのかと思いました。残念ですね。
明治節を知っている人が少なくなりました。
忘れて良いことや、忘れてはいけないことが
何か違ってきているように思います。
意図的にそうしている輩が多いです。
onecat01様のブログで私は学んでいます。
励まされています。
明治節の歌は、私も知りませんでした。
ちなみに、私の母も昭和3年生まれです。
元気だったら、95歳だったのですね・・
お母さま昭和3年でしたのね。
戦中戦後ご苦労なさったことでしょう。
偶然でも嬉しい気持ちです。
大本営発表を疑いもなく信じていました。
父がもうすぐ日本は負けると言ったときは
泣いて抗議しました。
今ではもしかしてこれフエークニュースかもと、
疑い深い人間になりました。
イスラエルやウクライナの紛争を見ていますと、
人は歴史から何も学ばないのかと思います。
犠牲者のこれ以上でないことを願っています。
私も幼いながら軍国少女でした。
出てこいミニッツ、マッカーサーなんて訳の分からない歌を唄っていました。
人類は戦争をしないと生きていけないのでしょうか。
哀しい事に古代から戦争の歴史ですね。