たまたま、なかにし礼さん作の「兄弟」と言う小説を映画化、ドラマ化?したものを鑑賞しました。
主演は、豊川悦治さん、ビートたけしさんのお二人。
歌は音痴とは言わないまでも、人に聞かせるには、ちょっと難ありな私ですから、音楽の方面はとんと不作法であります。けれども、昔聞き知った流行歌は、今も時々聞いたり、カラオケに行けば歌ったりするわけです。(めったに行きませんが…)
誰にでも、昔聞いて忘れられない、好きな歌があるではないですか…、何かこう、ぐっとくると言うか、気持ちの深い部分を掴んでくると言うか、歌の世界にひきづりこまれると言うか…。
人形の家、
雨が止んだら、
恋の奴隷、
別れの朝、
そして石狩挽歌、
”海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると
赤い筒袖(つっぽ)の やん衆がさわぐ
雪に埋もれた 番屋(ばんや)の隅で
わたしゃ夜通し 飯(めし)を炊(た)く
あれからニシンは
どこへ行ったやら
破れた網は 問い刺し網か
今じゃ浜辺で オンボロロ
オンボロボロロー
沖を通るは 笠戸丸(かさとまる)
わたしゃ涙で
にしん曇りの 空を見る”
まいりました…。
北原ミレイの石狩挽歌、すごく好きだったんです。
なかにし礼さんだったんですね…。
作詞作曲した方まで把握しないでいる無知で無礼な私ですが、改めて知ってみるとなかにし先生の作品の中に、好きな歌が多くて…。
壮絶な人生、と言われておられます。満州引き上げを経験しているんですね。五木寛之先生もそうですが(朝鮮半島からの苦難の引き上げを経験)、その時の事を文章にして残すことで、人生の区切りのような、そんな儀式になるのだろうかと、思ってみたりします。(天命の中で書かれておられます)
”書くことによって救われる”下のインタビューで先生、自分が救われるために書いたと話しておられます。
これだけの名を成した方が、抱えて来られた過去、家族、簡単には切れない因縁とでも言えるもの。
ビートたけしさんの演技が、はまり役で。
豊悦さんもはまり役で。
それから、
なかにし先生の曲の中に、古賀メロディーから感じるのと同じ感覚がある事に気がつきました。
古賀政男先生も、若き頃大陸(韓国)で長く過ごした経験があります。
母国を離れ異国で暮らした経験が、古賀先生も、なかにし先生も、そして、五木寛之先生にもあると言う事。なんとも言えない哀愁を感じるお二人の楽曲に何らかの影響を、幼き頃の異国暮らしが与えている、、、。
戦争が終わって日が浅かった昭和初期の戦争を経験した親を持つ私たちの世代、今の様に何でも変える時代ではなかった、貧困が身近な事だった時代を思い出しながら、
色々思ってみる土曜日です。
高校時代、憑かれたように聞き入った森田童子が、なかにし先生のお兄さんの娘であったということ、最近知って、この映画をみて、納得している自分がいます。
さよなら僕のともだち。