感動は命の肥し

曇りなき眼で、物事を見つめるなら必ずや真実を見極めることができる。覚醒の時を生きた記録として。

思いがけない発見

2019-10-11 | 日々思うこと

10月になると、緑色だった周辺の景色が急に、秋の色に変わり始める。

ここ近辺は落葉樹が多い、と言うかほぼ落葉樹なのだと思う。これほどまでに赤くなるかと思うくらい真っ赤な葉、きれいだ。紅葉と共に、どんぐりも木から落ちる時期である。運転している最中に、突然、コーンと音がして、落ちてきたどんぐりが車に当たって驚かされることがあるのも、この時期。

うちの裏庭には、とても大きな木が2本、公園との境目に植わっている。公園には、同様の高さの木が何本も生息していて、家の裏はちょっとした森林である。母が以前アメリカに来た時に、うちの周りに生息している背の高ーい木々を見て、木が高いと驚いていたことを思いだすが、九州の田舎に生えてる木のどうかすると倍以上?の木が植わっているわけだ。

この、裏庭の2本の大きな木のうち、手前の木は秋に紅葉する。黄色からオレンジ、赤と素晴らしい色合いを見せてくれる。台所の窓からの景色は、しばし、この紅葉でいっぱいになる。大きな木なので、紅葉も見ごたえがあるが、そのあとの落ち葉も半端でなく、毎年落ち葉の片づけに苦労する。

もう1本の木は、落葉するがあまりきれいには色つかない。かるく黄色く色づいた後、葉を落とす。そして、この木には実がなる。

緑色の小さなリンゴ、桃くらいのサイズで、周りの葉が色つき始める頃になると、それがボトボトと裏庭に落ちている。実は硬くしっかりしていて、サイズもあるので、秋の最後の芝刈りのころに、芝刈マシーンにガンガンと当たって、ちょっとイヤだなと思っていた。リスが好んでこの実を収穫するのか、そうこうしているうちに、なくなっているのが常だが、昨日、この実の正体がわかった。

胡桃だったのだ。裏の大きな木は、野生のクルミの木だったのである。

(フェイスブックのニュースに、リスがクルミの実を駐車していた車のボンネットの中に集めていたと言うのがあって、もしやと思ったわけだ。)

長く住んでいて、頓着せずに生活すると言うのは、こんな事なのである。何も知らずに十何年、もったいないことをしたものだ。

それで、昨日は仕事から帰って来るなり、裏に回ってみた。

ここ数日風が吹いたこともあってか、かなりの数の実が芝の上に落ちていた。落ちたらすぐ腐り始めるのだが、まだ、中には青々としている実が多いところを見ると、ここ数日のうちにかなり落ちたのだろうと思われる。これを収穫した。

バケツ一杯になった実は、ざっと見ても100個くらいはありそうだ。

木を見上げてみる。

大きな木だ。̪左右均等についた細長いみどりの葉が透けて美しい。もう、実は落ちてしまったのか木の上に実は見ることができなかった。何メートルあるのかな。20メートル近くあるのかもしれない。公園に出てみた。胡桃の木が他にもないかと思ったのだ。でも、見る限り、クルミの木はこれだけの様だ。

すごく、儲けものをした気分、うちの家の周りにリスが多いのもこれで、ちょっと納得した。

明日は、このクルミを地面に埋めるか、水につけるかして、実から種を取り出す作業にかからねば。

リスたちは、今年の胡桃はやけに少ないなと思っていることだろう。

裏庭の胡桃は黒くるみ

彼らには悪いが、私の秋の楽しみが、ひとつ増えたというものだ。



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